BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

女性の悦び

 

強がりたい時には全身真っ黒を纏い、上半身は革でかため、強い女になりたい時にはヒールを履きかっかっと音を鳴らして地を蹴りサングラスをする。周りからはジロジロ見られ「めっちゃいい女じゃね?」とか、わざと聞こえるように「かわいぃ〜」と言ってくる若い男には「私にはイヤホンの洋楽しか聞こえないの♪」と無視をしたり、わざと振り向いて悪魔な笑顔を浮かべることもある。そんな強い女を演じた日のナンパは大抵、ホストが営業関係なしに本気で「素敵ですね!」と言ってきたり、自信のなさそうな男のナンパは跳ね除けるのだが、まるでどっかの女優が街を颯爽と足を止めずに歩く様にニコッと手を振ってさよならをする。

 

ネオンの街は元から好きではないが、男と酒を呑むとかおっさんを落とすとかそういう遊びよりも、こうして街を歩くだけの遊びをしていた。

 

「遊び」というよりはごっこ遊びに近かった。

 

冒頭に書いた通り、自分の中のバロメーターでファッションを選ぶのは変わらないので、男の視線を集めようとして良い女を装う訳でもなく、単に内から湧き出る欲求を外に表してみただけである。

 

ただそれで目線やナンパを弄ぶように颯爽と歩くのも事実で、それが面倒くさい日はジャージやスウェットで中学生の男子になりきったりした。

 

よく仕事が作業着の女性や、職場で女を体感できるような服装じゃない女性は、休日に妙に色気が垂れてるような格好や、反動で無性に女の格好をしたくなる。まるでそこでバランスを取るかのように。

 

女はいつどうやって自分が女だということを実感するのであろう。

 

それは男に見られたいとかそういう心理ではなく、自分の中で女を実感したいが為の行動に思える。

 

作業着の仕事をしていながら、「私って素敵な女だわ♡」と思うことは出来ないのだろうか。

 

女にはやはりファッションやメイクの楽しみがあり、それらは自ら女性であることの悦びを体感するものなのだろうか。

 

世に男がいなくても、それは変わりないのだろうか。

 

男の視線を考えたファッションやメイクもありふれていて気持ち悪い、とは思うがそうじゃない女性も沢山いる。

 

けれども、女性だけの世界でも、更には自分しかいない世界でも、女性はファッションやメイクを女として生きる悦びにするのだろうか?

 

ふと疑問が湧いた。