BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

はだかになりたがった少女

 

自分が生まれた日。

 

裸だった。

 

みんなが裸のぼくを抱きしめた。

 

今日はどうだろう。

 

服を着ている。

 

もうパパもママもおばあちゃんも

 

おじいちゃんも友達も

 

布を剥がしたぼくの裸体には触れてくれやしない。

 

いっそ今日まで

 

誰も服を着させてくれなきゃよかった。

 

そうしたらいつから

 

この裸体は

 

「はしたない」「みだらだ」

 

と言われるようになるだろう。

 

いつからそれは

 

「性的に誘惑している」

 

と言われるようになるだろう。

 

 

今日も様々な性的ニュースでこの世界は溢れている。

 

僕には本当に本当にわからないことだらけだ。

 

そこそこ普通に学校には行っていたのに、この世の仕組みやこの国の文化や常識というものに対する僕の脳みそはからっぽだ。

 

誰よりもわからない。

 

 

ロシアの女性教師が水着姿をネットに投稿して解雇→数千人の教師が水着姿を投稿して抗議する (2019年4月4日) - エキサイトニュース

 

ロシア人の教師が水着姿をSNSにアップして解雇されたニュースは、事故で誰かが死んだニュースよりも胸が痛かった。

 

普段ニュースに興味のないおれが、激しい怒りを覚えるのはこういった性に関するものだ。

 

といっても、少女を強姦したニュースよりも、人それぞれの性癖なのにこうした「水着姿は性的な興奮を掻き立てるものだ」とかくだらぬただその人だけの主観でその人の持つ女性美やファッション性を奪われるのが一番腹が立つ。

 

小学生を強姦した人間も、ミニスカートの中を盗撮した人間も、世間は「気持ち悪い」「おかしい」というけれど、じゃあ一体ぼくらは何に興奮をすれば“正常”なのだろう?

 

水着、ビキニが、性的興奮を掻き立てるものとしてあるのならば、性にこんなにうるさい日本のビーチで当たり前に着られているのはなぜだろう。同じ格好で街中を歩けば変人?水着を着る女は男への誘惑?

 

今日まですっかり布や革やあらゆる物を身につけるようになった人間だが、銭湯には疑問を抱かず素っ裸になるのに(それも昔は混浴だったのに)、「ヌーディストビーチが好き」というと多くの場合引かれてしまったり「危ない」と言われるこの日本は、自分がその土地の文化の色に染められていることに気付いてない。他国に行けば、銭湯が異様な光景でありビーチで裸になるのが普通、ビーチでパーカーを羽織る日本が異常だ。

 

ぼくのいう女性らしさや女性美はヨーロッパ人の感覚に近いけれど、最近は同じファッションでも「いやらしさ」の出る出ないの違いは結局その“人”にあるのだと思う。ハリウッド女優のようなほぼ裸のドレスをその辺の女の子がしたら…と言うことだ。

 

けれどやはり人それぞれ美を感じる部分もいやらしさを感じる部分も違って、またそれが混ざりあって正解がないから、いっそどこかのイスラム教徒のように布で覆われてみたい。

 

それでも黒いベールに包まれていたら、かえってそれに興奮をする人間もいるのだから、少数派の性癖を考慮してたらぼくらはもう街を歩けない。多数の人間の性癖に法律や常識の矢を合わせるのが正解なのだろうか。

 

けれど旦那にのみ女性を魅せるイスラム教徒が、今はなんだかとてもシンプルでわかりやすく思える。

 

ぼくはこの国での「女性らしい」と言われるファッションやメイクが自分の体に合わないのは別にどうでも良いが、ぼくが思う「女性らしい」ファッションが街の色や顔、そこを歩く人間の感性とキレイに混ざり溶けないのが非常に嫌なのだ。

 

もっと街に溶け込みたい。

 

けれど街は変わらない。

 

好きになれない。

 

ならば好きな街に行きたい。

 

街にも女性にも惚れていたい。