BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

リスキーゲーム

 

財布が一つなのは、リスキーだ。

 

仕事が一つなのも、リスキーだ。

 

帰る場所が一つなのも、知っている国が日本だけなのも、すべてはリスキーだ。

 

地震で感じた生きづらさと「依存先増幅」の勧め - BOKETTO

 

 

↑同じ様なことを、地震があった時に書いている。

 

 

何かあったときには、お金を持った者と、お金はなくても人脈を持った人が生き残る。その両方を持っていたら最強だ。お金が使い物にならないとき、お金では解決できない時は人脈だけが残る。それからリスクに備える頭の良さも必要だ。

 

例えば、コロナで人との接触さえ拒まられる時、人脈のパワーも弱くなるが、自宅待機になった際に食糧を郵送してくれる仲間がいれば強いし、それがなくてもリスクに備えて自ら備蓄していれば生き残る強さになる。「絶対に必要ではないリスクに備えた物」に手を出すには余裕のある資金がなければできない。

 

今沢山の人が仕事先を一箇所に依存しているが故、赤字だったり潰れたりでいろんな目に遭っている。普通に働いていたら、「数年後に日本中にウイルスが蔓延して会社が潰れるだろう」なんてことや「大きな地震がきて日本は潰れるだろう」なんてことは考えないので、明日も明後日も仕事に行く自分しか想像できていない。そんなことを想像する意味も暇もないからだ。

 

けれどそんなことが存在するのがこの地球の面白いところだ。コロナで人が死んでいる中で面白い、と書くのは大いに間違いだが、人はまさかそんな時代が来るなんてことはわざわざ想像もせず、地球が平和なのは当たり前だという意識の上で、結婚や子育てなんて幸せすぎる未来を想像し生きていく。

 

しかしそれは人間の良い所であり、未来に夢を託して希望も抱けない、過去に夢を託して絶望も抱けない「今」しか見られない動物には人間が感じる幸せも感じれないだろう。人間の素晴らしい所は、酷い状況でも未来を見てポジティブになることも出来れば、同じ状況で絶望を感じることも出来る自由さだ。

 

冒頭の話にもどり、とあるサイトを見ていたら、

 

変化する時代を自由に、自立して生きていくためには、何にも依存しないことではありません。むしろ依存先を一箇所にしぼらず、複数持つことが大事です。

 

と書いてあった。

 

 

僕はもう何年前だかも忘れたが、旅をする前は帰る場所も一つ、財布も一つ、街中で話に行けるお店もない、依存先が今よりも少なかった。

 

今はもし地震があったら、とリスクを想像してそうしている訳ではないが、街を歩いただけでコンビニ、お花屋さん、マッサージ屋さん、バーガー屋さん、沢山「あら元気〜!Percyちゃん!」と言ってくれる居場所が沢山ある。

 

帰る場所だって、家族がバラバラになったお陰で自分の家、母の家、なにかあったら父の家、とそれだけでもある意味リスク分散にもなっている。

 

ドイツにもインドネシアにも友達だっている。なにかあればひとっ飛びだ。

 

僕がそれだけ繋がっているということは、何も自分の命を守るためではなく、同じようにそれだけ繋がった人の依存先に僕がなれることにもなるのだ。

 

地震の時に、食糧や必要な物を分け与える景色や、あんな時に人が火を取囲んで星を見上げる姿はなんとも美しかった。やばい状況になってから、そうして新たに他人と繋がるのもまた素敵だが、今まで信頼関係を創り上げてきた人間とそう出来たら僕はどれだけ素敵かなと思う。

 

「今の仕事のほとんどはAIにとられるぜ」なんて言われていたけれど、そんなことより前に自然災害やパンデミックやなんかで仕事が奪われる可能性はどこにでも何時でも存在する。

 

永遠に語れてしまうからこの辺にしようと思うが、この世で「一つ」にしか絞らないで美しいのは愛し合う二人だと思う。

 

勿論、それこそリスキーで無理な話だろ、と一年前の僕が言っているように「政治の話を分かり合えるのはこの人」「セックスが合うのはこの人」「一緒にいて楽しいのはこの人」と、一人の人に全ての役割を負わせないのもアリ。

 

はい、また男女とか結婚の話にスリ変わろうとしていますが、自由に動き回れる人間になるには依存先が沢山あるのが強い、恋人だって本来そうだけれど、それでも一人の人を愛そうと、愛してほしいと生きる人間が今の僕は可愛らしくて好きだ。

 

それだけは、一つに頼っていた仕事が消えたり、一つに頼っていた帰る家が無くなるのとは違って、失っても何か大きなモノが心に残ると思うからだ。それが不倫された上の別れであり、死別であっても、自分が大好きで自分の意思で「愛せていた」と自信を持って言えるのなら、

 

それは美しいからだ。