BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

美しい町に行けば

 

美しい町へ行けば行くほど、“生きる意味 ”とはとてもシンプルであり、この世は要らない情報で踊らされ本質ではない所にお金を使わされていると気付かされる。しかし彼女達は至ってむしろそれを幸せそうに行う。食べ物、飲み物、化粧品、生活用品、あらゆるジャンルで体に悪い物が溢れかえっていると知らず、知ったところで「私はこれでいいの」と人は言う。

 

住む場所を10kmほど変えただけで、働き方も人生の在り方もやりたいことも変わってしまった。それはかつてクロアチアの「ロヴィ二」という最も美しい街にステイした時の、“ここに住んでしまったら表現したい物がなくなる(アーティストでいられなくなる)”といった恐さと同じだった。

 

分かっていたのに、惹かれてここへ来てしまった。

 

 

昔から、有名になることや女優になるという派手やかな世界に生きたい自分と、大事な家族や友達に会える距離のステキな街でただシンプルにのんびりと暮らしたい自分がいる。前者の道を行くには家族と離れる外国に行かなくては行けないだとか、夢の為に何かを捨てるだとか、それくらい出来る行動力さえあるものの、僕の1番の生き軸である「美しさ」からは遠のいてしまう。

 

そう分かっているのなら後者の生き方にピッタリなこの街で農家でバイトしたり、自給自足又は地産地消で毎日のんびり暮らせばいい。しかしそこで起こる問題と言えば、それもまた「美しさ」であった。そんな暮らしが1番美しいと感じるに関わらずそこで許せないのは、それをした時の自分の外見的な美しさ、そして格好良さだ。

 

そう、それならば大工さんになればいい。農業と違って見た目は格好良くなれる、力も使うので美に繋がる。また物理的に美しい建築物と向き合う時間や、昔誰かが築き上げたあらゆる手法や建築の文化にその時は生まれてもいなかった現代の職人達が携る景色、汗、表情すら美しい。

 

僕の理想はこうだ。ファッションやメイク用品では無く、根本的な美に充分にお金をかけられる余裕の収入があること。そして朝早く目覚めて汗水垂らしながら力仕事をすること。農業をやっている人の景色はとても人間らしく美しいが、農業をしている自分より大工になっている自分の方が格好良い。またそこが大事だ。

 

しかし同時に、小さなぶどう畑の横でイタリアンレストランを開き、余ったぶどうの皮で自然派スキンケア商品を作り、レストランでイラストやグッズを売ったり…なんて生き方にも憧れる。けれどきっと、1番のワクワクはその建物を作る時と出来上がった時なんじゃないかという想像もつく。

 

守りたい美と、それを守っている時の自分のストイックさ&格好良さと、救いたい美と、人間的な美しいさまと。それらを考えた時に最もバランスの取れた方法は何だろう。まだ模索中だ。

 

社畜である時と、素敵な街に暮らしてしまった時じゃ、やはり生まれてくる音も違う。きっとまだ少しこわがってこの地の美しさにに住み「込めて」いない僕には自然の中で生まれる壮大でありシンプルすぎる繊細な音はまだ妊娠できないのかもしれない。社畜生活で生まれる反骨心だとか、日本はくそ、会社もくそ、大人はまじくそ、なんて音はそれはそれでパワーがあるが、歌いたいのはそこじゃない。

 

「生まれるものが無くなる」と恐がっていた反骨心も似合わない美しすぎるこの街で、ぼくが“ 何か ”を自然に産めるようになったら。それはそれはとても美しく透き通っていて涙と微笑みが零れるような物かも分からない。この土地の暮らしの様な、たとえば派手な結婚式の一日の美しさではなく、長い人生を遠くから眺めた時の美しさの様な佇まいをした静かであり偉大なもの。

 

それが音楽であるのか家具であるのか建物であるのか、何かで人々がHappyになっていくという小さな街での「景色」かも分かりません。

 

が、簡単に言えば今までは大嫌いであった日本の美しさを全く感じない場所にあえて身を置くことで常に生き苦しさを自分に与え、それを表現の餌としてた。そしてうんこをする様に作品が出来た。だけど今度は、呼吸をする様に生まれる物を産みたい。

 

その為には、長いこと落ち着かない街でストレスをかけてきた、またそれに慣れてさえしまっていた自分の体をゆっくり労り、生きるとはとてもシンプルなことを教えたい。日々の呼吸も太陽のあたたかさも雨の美しさも、人から与えられて抱く「喜び」しか知らなかった僕に既にそこに在るという「悦び」を教えてやろう。

 

いつか子供が生まれた時に教えたいのは派手な成功をする喜びよりも、どんなメディアの情報にも左右されない生きている事の美しさ素晴らしさ、人を幸せにする悦びだからだ(自分が派手に成功しても)。

 

こんなことはイタリアやクロアチアに住んでいればとても簡単でみなが生まれながら知っているように思えるが、日本では意識しないとまだ難しい。でもこの街なら、難しいことじゃない。

 

そんな平和な生活を望む僕の中の広大な土地の真ん中に、なぜ矛盾する様に「夢」と垂れ幕が下がった大きな道が大きく出来てしまったかと言えば、夢を忘れてしまった日本人に夢は叶うことを教える為だとか偉そうに僕は言うだろう。

 

でも、それだからこそ「優芽(ゆめ)」という名前を貰ったのかもしれないね。

 

今、芽が芽生えているのかもボーボーに生えまくっているかも分からないけれど、23年間も生きてやっと自分の氏名(使命)をよくよく見つめてみるよ。花はまだ咲いてません。

 

愛しき短き人生よ、愛で溢れた人生になりますように。美と愛と強さを兼ね備えて。みんなの武器をも溶かしてしまう美しい目を。自分をゆるす優しさを。みなの幸せを祈れる強き合掌を。みなの固く縮こまった心の真っ黒な部分を突き破り黒い血を出させるピカピカの剣を。

 

 

この地へ来させてくれてこの家に、

長いこと彷徨ったピアノの居場所を作ってくれたこの家に、

可愛らしいDIYでこの家を愛していたであろう前の住人に、

この家を作ってくれた職人さん達に、

 

感謝を込めて明日はおそうじをしよう。