BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

永遠の夕日

 

生まれてから死ぬまでずっと夕日の空だったら、その美しさにずっと見惚れることは出来るだろうか。

 

僕はきっと、「YES」だ。でも多くの人は美しい美しくないのジャッジマンにすらならずに「見なくなる」(興味がなくなる)のだと思う。

 

世の男が何百人、何千人と「あの女優と付き合いたい」と願い続けられるのは永遠に叶わないからであり、女優が世の男から何百人、何千人から「付き合いたい」と言われ続けられるのは叶えさせられないからだ。

 

雨の空しか知らなければ、雲ひとつない青い空を人は願うけれど、生まれてから今日まで青い空を毎日見ていれば「明日も晴れてくれ!」とわざわざ願うことはしない。「何年かぶりの雪」が明日来るかなどまさか考えず、当たり前なことは願わない。

 

それと同じようなことで、

 

美人ばっかの世界にいる美人より、ブスばっかの世界にいる美人の方が希少価値が上がり目立ち、競争率(需要)が上がる。下手したら美人ばっかの世界にいる「希少なブス」もコアなファンが出来ると思う。

 

夕日の話をしていたのにまた女の話になってしまった。夕日の話はもう終わり。

 

言いたいことは、「競走できる相手がいない」と思っている日本の街を歩いていて目立つのはもはやなんも面白くない。分かりやすく言えば、「美人ばっかの世界(美人が当たり前)でも希少価値があり求められる(目立つ)」そこまで行きたいということ。

 

女優やモデルやアーティスト達の横に立っても、己のオーラで眩しくて周りの有名人達が見えなくなるくらいのオーラがほちい。そこまでいくと「誰と競う」とかそんなもんはなく「ただ激しく自分を好んで、ただ激しく自分を貫いているだけ」→結果それが「誰にも出せないただキレイとか美人とかそういうんじゃない」真似出来ないオーラに繋がるんだろう。

 

美意識はもうその辺の子の100人分くらい背負って「美しくないと生きている意味がない!」(ホントは違うよ)ハウル状態だから、己を貫いた生き方に今年は意識を集中させたい。その為にはひたすら好きなことをするのだ。

 

そんな生き方を出来る人もまだ少ない日本では、そんな生き方をしただけで十分「おまえ、自由人だな」と注目を浴びる。じゃあ果たして、全員がその生き方をしたら全員がピカーん!と輝くオーラを放つか?といったらそうでもない。(みんなキレイにはなるけどね!)

 

たとえば、ゲーム好きで四六時中ゲームしている人は好きなことをやって己を貫いているのに、パーっ!と周囲を溶かすような熱いオーラはある?と聞かれたらどちらかと言うと髪はぼさぼさ、顔は油っぽい、もごもごした喋り方、よくあるニートの図を想像する。畑が好きで畑を耕すおじいちゃんは素敵なオーラはあっても、アーティスト的なオーラはない。

 

つまり見た目(ここではオーラ的なもの)は「生き方に似合うようになる」ということか。

 

“己を貫く ”の他に、強すぎて強すぎて外に出さないとパンクしそうな感情があって、それを「私の身体という小さい身体では抱えきれないので世に吐き出させてもらいます。」ていう状態がアーティストだと思う。

 

だからゲーマーや畑耕しおじいちゃんのオーラが決して腐ってるわけじゃなく、好きなことしてキラキラしている、にプラスして「この身体で表現するんだ」という強い意志の持った人は見た目にも大きなオーラが備うんじゃないかと。

 

そして、抱えきれなくなったう〇ちをただ排泄するだけ、ていう行為を「芸術的な形で生み出せるだろうか」とか「かっこいいポーズで出してみようか」なんてことは考えずに、ただただ内にあるものを外に出しただけ→それが格好よく映る、ていうのが本物のアーティストじゃないかな。だから「カッコ良さ」を求めて生きるというより、そう生きるその姿こそがカッコイイ。誰にも真似出来ないカッコ良さなのは、こうして後からついてくるというカッコ良さの「備わり方」が違うからだ。

 

「売れる物」を作ることは勉強すれば誰にでも出来ること。

 

自分の教科書にも他人の心の中にもどこにも載っていない「自分の中にあるものを外に産み出す」という作業が出来るのが〝表現者〟。

 

その表現が周りの人に「私だけじゃなかったんだ!」と思わせて共感を得るのも〇。でも僕は「こんな考えの奴(変な奴)がいるんだ!」と今まで狭いと思っていた世界観を広げられる人になりたい。

 

「変えてんだこの世界を!」と反発精神の塊みたいな歌を歌う気もないし、「おいみんな目を覚ませ!」と煽る気もない。勝手に僕は自分の小さな体内では抱えきれなくなった「感情」「思考」を排泄をすることだけに熱を出し、それを見た誰かが勝手になんか感じてくれればいい。じゃないと便秘になって他の仕事も出来なくなる。

 

見た人にとって勿論僕という存在が人生のプラスになれば光栄だけれど、「こいつきめぇ、私の方がマシね。」と思ってくれるだけで僕に興味があるのだから嬉しい。僕がいま誰かに嫉妬して頑張れるように、「この子だったら私の方がイケる!」と誰かの輝きへの糧になるならそれはそれで良い事だ。

 

 

夕日の話とかもうどうでも良いし、響きが気に入ったからタイトルに利用しただけ(笑)

 

「周りの有名人のオーラを食う」という、まさにそんな理想の動画が、あった。女王蜂アヴちゃん。ようちぇっく。