BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

木漏れ日

 

この世の夫婦やカップルで、好きなのにすれ違ったり小さな事で蟠りの生じている男女は皆、一週間ほど仕事を休んで遠い外国に行けばいい。

 

そしたらどんなに今起こっている問題がバカバカしくてアリンコみたいか分かるだろう。そもそも問題ではなかったことに気付くだろう。

 

小さな世界で愛し合っていると、どうも上手くいかなくなるものだ。

 

二人だけの世界は勿論どんな世界より愛で溢れていて欲しいけれど、二人だけの世界の秩序を保つには、二人は自分達より遥かに大きな世界の中にぽつんと佇む必要がある。

 

それはつまり日頃から会社という小さな世界だけで生きるのではく、仮に会社という小さな世界で住んでいても、意識は常に大きな世界の中に自分がいる感覚でいなければいけないということ。か?

 

と言いたいけれど、人間は自分の行動範囲の空間しか、認識出来ないであろう。

 

だから、だ。

 

もし雇われとしてこの日本で仕事をしていくのなら、そう簡単に一週間の休暇はもらえない、「ちょっと一週間バカンスしてきます」とは言えない、そんな中でどう広い世界に自分を置けるかだ。

 

自分はちょっと、雇われは無理なんじゃなぁい?と言う。

 

雇われるとしたら、雇ってくれるとしたら、スタート地点で「一生懸命仕事はしますが、何かあれば愛する人を優先します」と言う。

 

こんなことを言えば日本では終わりだが、そんなことを言える人間でありたい。日本では「私と仕事どっちが大事なの」の定番うざ台詞の答えは“仕事”でしかない。仕事をしなければ愛する人をお金で助けられないのだ。

 

けれどそういった働き方は、愛する人に何かあった時、愛する人が困っている時、元気がない時、様々な場面で守ってやる時間と余裕は生まれないのだ。

 

さて、この会社教の日本では、どう愛するのが正解だろう。

 

こうしている瞬間に、どんどん愛し合った男女がケンカをしたり物を投げつけ合ったり泣き喚いたりしている。

 

離婚は増えていく。

 

紙切れ一枚と広い一軒家に小さく収まった、愛のない二人も増えていくばかりだ。上手く愛せている二人をぼくはまだあまり見たことがない。

 

 

何かに悟った二人が仕事を辞めて世界一周に行ったり、長期休暇を取りクルーズ旅に行く夫婦がいる。

 

そこで色々な世界を見て時に喧嘩をすることはあったとして、死ぬ時に笑うのはどちらだろう。

 

すっかり社畜になった男が、愛の意味も忘れそうになりながら取り敢えず手は握っておいた淋しき妻と、仕事を辞め二人の時間と世界を広げた男がぎっしり掴んだ妻は、どちらが幸福だろう。

 

別に、世界を見たからといって上手く愛し合えるわけでも、世界に興味のない者もいる。

 

会社で働きながらも、かえってその時間が二人の世界を上手く回していることもある。

 

一概にどうとかは僕だっていえない。

 

ただぼくには、人間同士、特に恋人間で起こるお互い好きでいるのに何か問題を感じている二人はもっと世界の広さを知って欲しい。

 

「世界」というのは世界地図の世界を表しているけれど、そうじゃなくてもいい。

 

 

休みの日に木漏れ日を感じ、はだしになって緑の上に寝転がるだけでいい。

 

自然を感じることは、地球を感じることだ。

 

地球を感じれば、自然の偉大さを知り、思い出し、“自分達”も“自分達に起こっている問題”も全てが小さすぎたことに気付けるのだ。

 

 

もうすぐで満ちる月よ、お休みなさい。