BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

たんじょうびけーきとパインハンバーグ。

 

なんでもない日にケーキを買った。

 

閉店していたのに、「いいよ」とお店に入れてくれた。

 

全部自分で食べるつもりなのに、

家族の人数分を頼んでいる自分がいた。

 

4つ頼んだのに、

「シュークリーム入れておくね」とおじさんは言ったけれど

ショーケースにはまだ沢山のケーキがいた。

 

選ばなかったケーキ達を眺めていたとき、

僕の顔はとても悲しかった。

 

「残ったケーキ、どうなるの?」

 

子供のような声でそう言うと、

「うーん。明日もお休みだから廃棄しかないねぇ。」

 

明るく派手に彩られたケーキ達の終末は暗かった。

 

 

今でさえ、特別な記念日でなくても

昼間のカフェに顔を出すケーキだけれど

 

誰か分からない今日が誕生日や記念日の人の為に

いつくるか分からないその人の為に

ひたすらショーケースから顔を見せるケーキに

 

僕は一日もなれないだろう。

 

せっかくお客さんがきたのに

「買って買って!」と

身動き一つ取ることすらできないケーキに

 

僕はどう頑張ってもなれないだろう。

 

 

ケーキのように

みんなに愛されて当たり前のみてくれで

 

どんなに美しく生クリームを羽織ったって、

どんなに格好良く真っ赤なイチゴを頭にのせたって、

 

売れ残る者は、売れ残る。

 

 

でもそれは「まちのケーキ屋さん」という

あまりにちっちゃい土俵に立っているからであって

 

そのケーキがこの世界中だれにでも手に届く位置にあれば

きっとそのケーキが欲しくてたまらない人は沢山いるのだ。

 

ショーケースに静かに居座ったままのケーキを

この世界中の「あいしてくれる人」の手に渡せたら、

しあわせがハミ出るくらいの笑顔で食べてくれたら、

 

どんなにしあわせなことだろうと思う。

 

ケーキを産み出した親も、ケーキも、みんな。

 

 

 

僕をケーキでたとえるなら、

モンブランなのにイチゴがのっていたり

ちょっと、いやだいぶ捻くれた万人受けするケーキではない。

 

びっくりドンキーでいうと、

パインのハンバーグ。

 

でもパインのハンバーグが好きな人の

パインのハンバーグへの愛は、

 

チーズハンバーグが好きな人の

チーズハンバーグへの愛より

 

はるかに大きいと僕は思う。

 

 

レギュラーバーグで万人に好きでも嫌いでもなく

真顔で「おいしい」と言われるくらいのものなら、

 

パインをのっけて「まず!」と叫ぶ人が10人中8人いて

「なにこれ超やっばい」と涙流して感動してくれる人が

ひとりふたりいた方がイイ。

 

なぜならそれくらいの感動でやっと、

人を動かせるからだ。

 

パインとハンバーグ。

 

合わないと思って食べて、

「合わない」と思った人はごめんなさい。

 

でも試そうと思うのは自由なので、

返金したりは決してしません。

 

わたしはわたしのまま

いつも通り万全の状態で食卓へ出ます。

 

わたしの味が、舌に合う人がいれば

どうぞこれからも好きに味わってください。

 

けれどきっと毎日は飽きるから

 

レギュラーバーグ8割の

パインはたまにでいいです。

 

 

人間と同様に、

味わってから分かることでも

そもそも見た目で「ありえな!きも!」と

拒否反応を表したりキライを感じるのも仕方ないのです。

 

それも立派な嗅ぎ分け能力だと思います。

 

 

でも味わったことのない人間が、

味わったことのある人間に対して

パインとハンバーグのキモさやありえなさを

必死に訴える姿が一番恥ずかしいと思うのです。

 

一番なりたくない大人の姿です。 

 

僕はできるだけ自分の眼でこの世の中の明も暗もみて、

できるだけこの舌で世界の至る所を味見程度でいいから

どんなに人々が「まずい」と口にする場所も

一度は舐めてみたいのです。

 

 

 

なんていって

 

自分は次もチーズハンバーグを頼みます。