愛
愛する人がチョークで描いた“しあわせ”という頼りない丸の中に自分が描かれない事はとても心憂いけれど、それでも本当に哀しいのは、その丸の中に違う誰かの名前を描かれる事ではなく、誰の名前も無く空っぽになる事だろう。自分の恋心を除外させれば。
頑丈に鎖で繋がれていたと思われた手の強度は余りに脆く、その脆さも強さも、確かめるようにぼくらは誰かを抱きしめる。
確かなのは手の温もりだけであり、握りしめる一生を誓うような強さは思うより刹那的で、嘘みたいに儚いものだ。
だけどその繋いだ手が一生離れないのが当たり前の世界なら、僕らは誓うことも、本気で愛そうとすることも忘れてしまうかもしれない。
「死」はすっかり遠い国の事の様に思えるこの世界。それでも笑いあっていようが、ぶつかる事すらしなかろうが、二人の手の温度も強さも常に揺らいでいる。それが人間同士。
すっかり衰えた手の触覚は、その手が離れてから気付くのだ。
繋がれていたことを。
繋いでいたことを。
(2019年7月)