BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

Kiss The Rain

ハンガリーに居た頃、盲目のピアニストと繋がった。なんでかはよく分からない。偶然の出会いなどぼくには無闇に降りかかる。たまたま泊まったホテルのお手伝い君が優芽のピアノ動画を気に入って、「どうしても生で聴きたい!」と言った。すると翌日、彼は道端で盲目の男性から道を尋ねられる。二人の会話がすっかり弾むと、彼はピアニストで、帰る家はなんとそのホテルと同じアパートらしい。階違いだった。

 

ぼくは導かれるようにお手伝い君と共にピアニストの彼の家にお邪魔することになった。盲目の人とコミュニケーションを取るのは初だった。

 

彼の家はまっくらだった。ぼくらは目が見えるので何も見えない。明るくして良いか尋ねてライトを付けると、置いてあったのは何の変哲もない電子ピアノ。部屋は片付いている。

 

「じゃあまず君のピアノを聴かせて」

 

彼はそう言い、ほぼ閉まり切っている瞼をそっと優しく閉じた。彼の五感が耳だけに集中しているのが分かった。

 

久しぶりに触れるピアノ。電子ピアノだということに内心ガッカリしながらもぼくは、その鍵盤の感度を探る。やはり本物のピアノとは鍵盤に触れる感触も、離す感触も、どう労わっても優しくならない。とりあえず、お気に入りの曲をパラパラっと流した。

 

途中、曲調がジャズに移行した所で彼は嬉しそうに子供のように首を揺らした。目の見えない人特有の、あの動きだ。

 

その瞬間、「音楽」を体感した。

 

彼はやっと口を開いた。

 

「ぼくに教えてよ」

「普段どうやって指を覚えるの?」

 

ぼくは分からなかった。

 

誰にもピアノを教えたことのないぼくが、ましてや目の見えない彼に指を触って教えれば良いのか、耳に聴かせて覚えさせれば良いのか、全く分からなかったのだ。

 

選手交代をして彼がピアノを弾き鳴らす。知っている曲もあったので、鍵盤の右端でぼくは邪魔をして遊んだ。しかし、ある大好きな曲を彼の手が鳴らすまでは。

 

“Kiss The Rain”

 

韓国人、イルマの曲。

 

調べてみればそこそこ有名なのかもしれないが、ぼくがたまたま出会ったこの大好きな曲をまさか異国の地のピアノ弾きと共鳴するとは、思っていなかった。

 

その後も彼は喋る代わりに音を鳴らし続け、もし彼がいま声を手にいれたらこんな風に話すのだろうな、という程に生き生きと楽しそうで嬉しそうな音を歌った。

 

“息を呑む”とはこういう事を示すんだな、と21年間で初めて言葉の意味を理解した時だった。

 

 

 

ぼくは一時期、盲目のピアニストや小指のないピアニスト、手が使えなくて足で弾くピアニスト、彼らのことを羨ましいと思っていた時期があった。

 

ピアニストといえば響きはかっこいいけれど、この世界にはピアノの上手い人などありふれていて上には上がいる。そんな中、同じレベルでも「目が見えない」「小指がない」というハンデのお陰で素晴らしいだとか感動を与えるだとか言われる彼らが羨ましかった。最も無礼な嫉妬だろうか。

 

そして嫉妬するもう一つの要因は、果たして盲目の人が全員そうであるかは別として、明らかにピアニストの彼は耳がその辺の人間よりも遥かに長けているということだ。

 

自分ですら、このおしゃべりでない口や感情をピアノでしか表せないほどに不器用な身体を貰ってこの星に生まれ落ちたのに、そりゃあ、もっとどこかが欠けていれば、もっとどこかが優れているに決まっている。神様はそうしてくれた。

 

 

彼の演奏が止まり、自分への質問コーナーが始まった。負けじとこちらも質問をした。し合った。なんだかとても、哲学的だったことを覚えている。

 

普段ぼくらは目に頼りすぎているだとか、目が見えないからピアノを弾くのか?今見えるようになってもピアノは弾くのか?とか、普段なにを想って弾いているだとか、あなたにとってピアノは?とか、結局二人がピアノと人生を歩む理由など誰にも分からなかった。

 

お手伝い君のプフィーは、英語も分からずただただ二人の馬鹿馬鹿しくて小難しそうで簡単な会話を耳に入れているだけだった。

 

「知らない人にいきなり触れられるのは怖いんだ」

 

と言っていた彼と並んで写真を撮り、“またね”とハグをした。

 

 

close your eyes,

and play the piano.

 

「目を閉じて弾いてみて」

 

そう言われて怖くて、ただ怖くて指を動かせなかった自分の指、視覚に頼り切った自分のピアノがキライになった。その日からぼくはピアノを弾く時は余計に、自分は声も目も持たない人間だと思い込むようにして鍵盤を抱いている。僕がクラシックや簡単な曲も心を込めて弾けるようになったのは彼のお陰だ。

 

けれどこれまでの人生経験も然り、だからやはり小学生が気取った手つきでピアノを弾いている優等生系お嬢様系のピアノ弾きは理解できない。

 

こんなに人生の曲がりくねった道を経てやっと感情を込めざるを得ない演奏になるのに、なぜあの歳で感情を込めれるのかぼくにはさっぱりだ。といっても、小さい頃からショパンの哀しい曲ばかり弾いていた自分は、きっとなにも変わっちゃいない。

 

人がピアノに指を添える理由。楽しいから、悲しいから、腹が立つから、切ないから、愛しいから。人によって様々だろう。なんだっていいだろう。

 

ぼくは小さい頃から怒りや悲しみを出す役目をピアノが代わってしてくれた。ぼくの声だった。友達だった。だから今も楽しい曲は唯一ゾーンに入れるスポーツ感覚で、本当に弾きたくなるのは寂しさが一人ぼっちになったときだ。

 

明日はイルマの曲を弾こう。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

追記として、ピアニストの彼は彼女もまた、盲目のピアニストだ。そう聞いただけで、なぜだか素敵に思えるのはなぜだろう。

 

「もし今お互いの顔が見えるようになったら、焦んない?」

 

なんて躊躇いもなく聞くと、別にどうでもいいよと言うように、さらっと笑った。普通の人が人を好きになるのに大半を占める相手の「顔」という物も表情も知らずに、その代わりに普通の人が普段聞き落としている声の肌触りや色、手から感じる温もり、におい、沢山の色の広がった世界を彼らの瞳は映し出しているんだろう。

 

 

今はトイレの便座だけがいつも温かい。

 

f:id:jigsawww23:20190516232533j:image