家を失くした少女
家にかえると、ぼくのものはすっかり、いやほとんどなかった。
ぼくは泣いてしまった。
洗面所のコップも、ふとんも。
ぼくは悲しかった。
もう引っ越しているし別になにもおかしいことではないけれど。
ほっとするために家にかえってきたのに、僕は悲しさとストレスで泣いてしまった。
僕は僕の身体に本当にワガママなのだ。
他に誰も先に入っていないお風呂と、ココナッツのお線香、スピーカーから流すジャズピアノ、広いベッド、ぬいぐるみ、バスローブ。
もしも長い旅行の帰りにその時間と空間を奪われて、つまり「いってきます」をした拠点となる愛しの場所に「ただいま」を言えなくなってしまったら。
僕はただただ、悲しくなる。
津波で家を失くした人の前で、こんなことが辛いと言えるかといったら、僕は言える。
物理的に家というものがなくなる辛さも、思い出のある家に見知らぬ誰かが住むことも、家はあるのに家族がいなくなることも、其々別の辛さなのだ。
僕は実家を失うことになるが、それは、僕に、実家があったということ。
実家があったということは、家族がいたということ。家族は今でも僕の中にいる。
最初から家族すら、いないものもいる。
そんな世界で、おぎゃあとへその緒から離れた瞬間に街の大人達みんなが家族のように抱きしめてくれたらどんなに平和なんだろうと思う。
大人になってから家、や家族を失ったものにも、辺りの人間みんなが手を広げてくれたら。
家とは、「あなたはそれでいいんだよ」と言ってくれる人や場所である。
みんなが、みんなに、そう言えればいいのに。
みんなが、じぶんに、そう言ってあげられれば淋しくないのに。
外人が友達のことをブラザー、とかファミリー、と呼ぶ感覚が僕の中には荒々しくどっしりと座っているから、僕は時に悲しくなる。「困ってるんだから、助けるのが当たり前でしょ??」という家族の間に流れる温かさと同じ空気を持つ友人関係を、日本ではあまり感じない。
僕はいちいちハグを交わしたいし、キスだって挨拶のように愛情表現でしたい。
なんの話か分からなくなった。
ぼくは強くなる。