BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

青い髪の女の子

 

世界を嫌った、青い髪の女の子。

 

純粋すぎた少女は

 

この星では生きられなかった。

 

 

 

少女は髪をピンクにした。

 

 

自分の中にあるやさしい部分を

 

色だけでも世界にはめようとした。

 

 

けれどピンク色に染った髪は

 

次第に少女とも分離し、空(くう)をさ迷った。

 

身体は怒りと孤独が混ざり、濃い紫色になっていったからだ。

 

 

 

そして少女には何もなくなった。

 

肌色の身体だけが残った。

 

 

それでも疲れ切りながら、切磋琢磨で生き延び大人になった少女は生まれた時と同じ、真っ黒な髪を身に纏った。

 

刈り上げていた耳の横とうなじの感触など、忘れた。

 

 

 

すっかり黒髪を身の物にしたその“女性”は、無造作に頭の上にお団子を作っては、大人を演じたくなれば髪ゴムを解き首を降らした。

 

その度に、髪が揺れた。

 

邪悪なオーラと蠱惑的な匂いが大人しく激しく潜む様な黒い髪。

 

その小さな体に比例せず、大きくなりすぎたオーラで人を惹きつけたかと思えば、触れられる者はいなかった。

 

どうしようもなく惹かれ近寄ってしまうのに、決して誰も触れられなかったのだ。

 

 

 

やがて“黒”は彼女の物になった。

 

他に黒の似合う女はいなかった。

 

 

世界にあった闇の黒さも、

 

人々の心に宿る黒も、

 

そのどこかに落ちた強い黒も、

 

正義の黒も全部飲み込んだ。

 

 

飲み込んだ分だけ、大きくなる。

 

 

身体は小さいまま、オーラだけがナイフとフォークを手に取り、どんなお皿も独り占めするのだった。

 

少女の食欲は減らないだろう。

 

 

 

 

 

この世の人間、あと数日後にしにます。

 

だったら、最高だ。

 

みんなが大事な事に気付き、

 

急に焦り出す人間はほんとに

バカすぎてどうしようもないけど

 

それでもみんなが寿命5日なら

 

急いででも手を繋ぎあって

 

目を合わせて

 

想いを伝えるだろう。

 

 

それが 死ね でも

おまえのことまじ嫌いだった でも

 

愛してますでもなんであろうといい。

 

 

なんとしてでも

 

つたえあうのだ。

 

 

木漏れ日

 

この世の夫婦やカップルで、好きなのにすれ違ったり小さな事で蟠りの生じている男女は皆、一週間ほど仕事を休んで遠い外国に行けばいい。

 

そしたらどんなに今起こっている問題がバカバカしくてアリンコみたいか分かるだろう。そもそも問題ではなかったことに気付くだろう。

 

小さな世界で愛し合っていると、どうも上手くいかなくなるものだ。

 

二人だけの世界は勿論どんな世界より愛で溢れていて欲しいけれど、二人だけの世界の秩序を保つには、二人は自分達より遥かに大きな世界の中にぽつんと佇む必要がある。

 

それはつまり日頃から会社という小さな世界だけで生きるのではく、仮に会社という小さな世界で住んでいても、意識は常に大きな世界の中に自分がいる感覚でいなければいけないということ。か?

 

と言いたいけれど、人間は自分の行動範囲の空間しか、認識出来ないであろう。

 

だから、だ。

 

もし雇われとしてこの日本で仕事をしていくのなら、そう簡単に一週間の休暇はもらえない、「ちょっと一週間バカンスしてきます」とは言えない、そんな中でどう広い世界に自分を置けるかだ。

 

自分はちょっと、雇われは無理なんじゃなぁい?と言う。

 

雇われるとしたら、雇ってくれるとしたら、スタート地点で「一生懸命仕事はしますが、何かあれば愛する人を優先します」と言う。

 

こんなことを言えば日本では終わりだが、そんなことを言える人間でありたい。日本では「私と仕事どっちが大事なの」の定番うざ台詞の答えは“仕事”でしかない。仕事をしなければ愛する人をお金で助けられないのだ。

 

けれどそういった働き方は、愛する人に何かあった時、愛する人が困っている時、元気がない時、様々な場面で守ってやる時間と余裕は生まれないのだ。

 

さて、この会社教の日本では、どう愛するのが正解だろう。

 

こうしている瞬間に、どんどん愛し合った男女がケンカをしたり物を投げつけ合ったり泣き喚いたりしている。

 

離婚は増えていく。

 

紙切れ一枚と広い一軒家に小さく収まった、愛のない二人も増えていくばかりだ。上手く愛せている二人をぼくはまだあまり見たことがない。

 

 

何かに悟った二人が仕事を辞めて世界一周に行ったり、長期休暇を取りクルーズ旅に行く夫婦がいる。

 

そこで色々な世界を見て時に喧嘩をすることはあったとして、死ぬ時に笑うのはどちらだろう。

 

すっかり社畜になった男が、愛の意味も忘れそうになりながら取り敢えず手は握っておいた淋しき妻と、仕事を辞め二人の時間と世界を広げた男がぎっしり掴んだ妻は、どちらが幸福だろう。

 

別に、世界を見たからといって上手く愛し合えるわけでも、世界に興味のない者もいる。

 

会社で働きながらも、かえってその時間が二人の世界を上手く回していることもある。

 

一概にどうとかは僕だっていえない。

 

ただぼくには、人間同士、特に恋人間で起こるお互い好きでいるのに何か問題を感じている二人はもっと世界の広さを知って欲しい。

 

「世界」というのは世界地図の世界を表しているけれど、そうじゃなくてもいい。

 

 

休みの日に木漏れ日を感じ、はだしになって緑の上に寝転がるだけでいい。

 

自然を感じることは、地球を感じることだ。

 

地球を感じれば、自然の偉大さを知り、思い出し、“自分達”も“自分達に起こっている問題”も全てが小さすぎたことに気付けるのだ。

 

 

もうすぐで満ちる月よ、お休みなさい。

 

宙ぶらりん

 

 

散らばった四人の家族の、想いが夫々どこを浮かんでいるか分からないまま、月日は過ぎる。僕の想いは独りでに宙ぶらりんのまま、五線譜からはみ出したピアノの音符の様にひとりぼっちだ。

 

今すっぴんで外を歩いても僕の目に力が漲切っているのは、この地球においての生きにくさや悲しさからかと思えば、そこに紛れる誰とも比べ物にならない生命力からである。

 

僕は今、身体こそ元気ではないけれど、極太に真っ直ぐなアスパラガスのように強く曲がらぬ信念が心の根っこから聳え立っている。

 

自分の中で守りたい自分、それは誰にも傷付けられたくない柔かい部分、イコールそれは強い部分。それらを知っている。

 

何が許せなくて、何は許せて、何をこの人生で成し遂げて死を迎えたいのか、気持ち悪いほどにコントラストが明瞭になってきた。

 

どんな人間と付き合えば良いのかを身体が学んできたのだ。

 

 

日本で活躍するだとか、海外で活躍するだとか、手段としてどこを舞台にするかは考えなければいけない所だけれど、ぼくにはその境目は少しぼやけている。視界をはみ出す位に地球のイラストが常に映っているからだ。

 

汚れていく海も、被爆した人間も、撃たれて死んだ子供達も僕は放っておけないかと思えばそうでもない。みんなだってそうだろう。

 

それよりもぼくは、やっぱりこの日本のヤバさを計りたい。そろそろ皆が、今まで気付かなかった人も、身体に症状が現れたり、もうどれだけ異常か分かってきている。この、狭い国の“仕事教”のヤバさを。

 

ぼくはただうたいたい。

 

みんなの仕事を休みにして、芝生の上で寝転がらせたい。海辺で裸にして太陽を感じさせたい。あの停電になった夜のように星を感じさせたい。生を感じさせたい。

 

なぜこんなにも皆が仕事に操り棒を取られて踊らされているのか、ロヴィ二の様な街を眺めていたら本当にわからない。

 

魚を釣る人がいて野菜を売る人がいて、朝市には街が賑わい、子供は遊び、それを眺める大人は微笑み、夜には作った物を分け合ったり笑顔もお酒も飛び交っている。

 

衣、食、住、どれもシンプルであったものがこのご時世、複雑になりすぎている。

 

ぼくらの生活はもっともっとシンプルでいい。

 

シンプルであったはずだ。

 

変わることも複雑になることも構わないが、それを成すには大事な基本を忘れないことだ。

 

僕が今絵を描くなら、お札やビルを大きく描き、諭吉は皆に縋り付かれており、操り人形のように紐を垂らした先に顔の死んだ人間達を小さく描く。手足の力は抜け切っている。

 

 

それが今、いやずっと前から僕の眼に映る日本だ。

 

 

日本の良い所を観せるばかりじゃ、おれの表現や生まれてきた意味が成り立たないから、きっと神様が日本のヤバい部分にピントが合うようにわざとおれの眼を細工してくれたのだろう。

 

 

せいいっぱい

 

皆がいま、自分のことで精一杯である。

 

精一杯同士で上手く愛し合えるのは、女友達同士だけである。

 

精一杯な男は精一杯な女には気付けない。

 

精一杯な女は精一杯な男に気付かれない。

 

精一杯な人間は

 

いっぱいいっぱいの人間は

 

自分を犠牲にし

 

誰かを愛することなど

 

持てやしない愛を両手に

 

乗せようとしては落ちていく

 

それに気付く頃には

 

その愛を一瞬でも拾った彼女は

 

もう死んでいる

 

 

ころしたのだ

 

 

 

 

あおいそら

 

かがやくうみ

 

てりかがやくたいよう

 

ゆれるきのおと

 

かぜのおと

 

 

 

 

 

あぁ何も無いこの地球のおんなじ時間で

 

危機の迫るアラームではなく

 

それら自然がゆったりとした時間をただ過ごしているにも関わらず

 

 

地球の裏側では

 

それを感じようと裸でバカンスをする者

 

 

の裏で

 

焦り狂って支度をして走って出社する者

 

 

それをながめる僕

 

 

どっちがうつくしい人間だろう

 

 

どっちが自然が喜ぶだろう

 

 

どっちが自然には理解できないだろう

 

ぼくには全く理解ができない

 

 

 

 

 

メガシャキ

 

疲れてるあなたに

 

風邪でも休めないあなたに

 

 

 

こんなキャッチフレーズが耳に馴染んでいるこの国は本当にいかれてるのだ

 

 

目がしょぼしょぼしたら寝ろ

 

疲れたら休め

 

風邪なら頑張ったんやな休め

 

 

ぼくは全部のキャッチフレーズを変換したい

 

 

 

 

 

まったくいかれている