BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

宝もの

 

神様へ

 

僕は 大切 の意味がわかりません。

 

いいえ、 大切にする 意味はわかります。

 

僕の中には沢山の宝物があるからです。

 

それらを宝物にできたのは

 

ママが僕を大切に育ててくれたからです。

 

だから僕は沢山の人やものやぬいぐるみを宝物に出来る

 

優しい子になりました。

 

 

しかしここへ来て、わからないのです。

 

僕が宝物にしているものを 大切 と呼ぶのか

 

宝物達が僕に宝物にされていることを 大切 と呼ぶのか

 

それはもちろん

 

大切にしている     大切にされている

 

で違うのは当たり前ですが

 

そこがわからないのです。

 

 

世の中には片方は大切にしていると思っているのに

 

片方は大切にされていないと感じることが多いように感じます

 

そして実際に傍から見ると

 

とても大事にしている様には見えないことが多くあります

 

ですがそれでも不器用な人間達は「大切だ」と言うのです

 

果たしてこれは、大切に「されている」んでしょうか?

 

その人の「大切にしている」という思いよりも

 

「ちっとも大切にされていないわ!!!」という感じる思いが本当なんでしょうか?

 

 

僕には分からなくなりました。

 

大切の仕方が違う人間達。

 

 

だけど今、うちにある観葉植物と花が思い浮かんだ。

 

大切の仕方は自分のやり方でやるもんじゃない。

 

観葉植物には毎日葉っぱに水をやる。

 

鉢には2週間に1回の水でいい。

 

花はどうだろうか?

 

また別だろう。

 

花によっても違う。

 

太陽のあたる場所で元気に咲く花もいれば

 

日陰を好む花もいる。

 

僕の家の観葉植物くんに、

 

「俺はおまえが大事だから毎日水をやるんだ!」

 

と水をグビグビ与えては死んでしまうだろう。

 

しかしそれも

 

愛し方を知らなかっただけの

 

愛には変わりないんだろうか

 

問題はその子の声を聴くことだろうな

 

その子も声を発することだろうな

 

「私は2週間に1回の水やりが愛を感じるの」

 

と。

 

 

そしてお互いに1番「愛し合える」位置にずれていくんだろうな。

 

それはもしかしたらさみしいことかもしれない。

 

だってあなたは毎日水をあげたいんだから。

 

でもそうして愛し方という愛を意見交換し合う内に、

 

「じゃあ毎日少量のお水を下さい」

 

とか

 

「1週間に半分のお水を下さい」

 

と歩み寄れるかもしれない。

 

そしてお互いが心地よく、

 

元気に育つお互いを元気に見守れるのかも

 

なぁ。

 

なんて美しい曲を聴いて瞳を潤すよ。

 

また今宵もピアノだけがそばにいてくれた。

 

いつも心の一番さみしくて優しい部分を

 

ぎゅっとゆるく抱きしめてくれる

 

ピアノは今日も僕と同じ孤独な音をうたう

 

この先どんな運命の人と出会っても

 

僕の孤独にはピアノしか触れられないんだ。

 

 

Spring / 久石譲

 

 

明日はうまいもん食べるんだ。