さみしい景色
またもや、亀のようなスピードで長い階段を手押し車と共に下るおばあちゃんがいた。地下鉄だ。
誰も助けやしなかった。おれはすぐさま落ち着いた様で少し駆け足で「持ちますよ」と言った。とても笑顔の可愛いおばあちゃんだった。
またとっても感謝された。
とっても感謝されたけどその嬉しさはどこえやら、それより遥かに、素通りしていく人間達のひんやりさで心が哀しい。そして隣に座ってきた女性が臭くて、また悲しい。
数日前は大雨だった。風も強かった。
そんな日にJRのホームで倒れている男性がいた。
沢山の人がそこで下車したけれど、みんな素通りだ。みなに共通した認識は「酔っ払いが倒れてる」それだけであって、気付いてない人間と興味のない人間が雨の中に消えていった。
ぼくと四十代ほどの女性二人組だけが、ホームに残った。
案の定、ただの酔っ払いだったけれど、これがもしただの酔っ払いじゃなかったら。
三人で一個先の駅まで歩いていく彼を見送り、「奥さんだったら嫌だけど、なんだか親心みたいだねぇ」と僕が言う。「あなたまだあの男性より10も20も年下でしょ!」と返され、みなで「誰もなにもしないんだねぇ」と言いながら。僕の心と目には素通り人間達の歩く冷色の景色が焼き付き、モヤモヤしたまんまだった。
家に帰ると、母がいた。
「もし主婦二人もいなくておれだけだったら、その人をタクシーに詰め込んで、かるくお金を渡して、住所を言わせていたかもしれない」そう言うと、「も〜どんだけ男気あんのさ」と苦笑いだった。
ぼくが外国へ行った時、このような景色が広がりまくってる冷たい国と、どちらも混ざった国と、誰もが助けてくれる天国があった。
こういう時に、自分がドイツの駅で助けられたことを思い出す。トルコ人の彼があそこの現場にいたら、この間や今日自分がしたことは当たり前に過ぎない自然な光景だと心で知る。
まだまだ、酔っぱらいで倒れた彼をスマホで撮影する人間がいなくて良かったと安心するのである。
(去年の記事)