映画「数時間の恋」
昨日同じホテルで出会った日本人の男の子を見送りにバス停ヘ。バスまでの時間、一緒に軽く辺りを散策する。
昨日はオーストラリア人の女の子がいたので二人の間では英語が飛び変わっていたが、今日はお互い日本人。色々と話が合った。そりゃ、一人でこんなとこにいるんだもん、お互い変人な訳だ。
彼を見送ったあと、かなり小さい街なので適当に歩き回る。
そして、何となく立ち寄ったアジアンショップ。特に買う物がなくても堂々と店員と話すのが自分。だが奇跡的に惹かれた指輪があったので、一つ買おうとすると、
「これはプレゼントだよ。君はとても可愛いからね。」
となんかおじさん、
やたら自分のこと気に入ってた(笑)
ありがとう!!!(泣)
すっかりロヴィニの虜になり、お店を出てまたブラブラしていると海沿いの道端で切り絵をしているおっちゃんがいる。
(この画像はおっちゃん休憩中)
既に一組の夫婦とガタイのいいお兄さんが群れていて、どうやら切り絵で横顔を作ってくれるみたい。自然と輪に入る。
流れで自分も作ってもらうことになったが、100クーナ。換金したばかりの自分はあまり金銭感覚が分かっていない(いま計算したら1700円くらいだったw)。
が、予想以上の出来!
同じアートをやる人間として、彼がその技術を身に着けた期間だとか、その人を惹き付けてしまう人間力だとか考えれば安いもんだ。
するとその切り絵おじさん。隣にいた既に手に切り絵を持ったガタイのいいお兄さんに向かって、
「よし。あんたも一人、この子(自分)も一人だ。そこのカフェでコーヒーでも飲みなさい。お金は私が払うから。」
と、“男だったら女を連れてくのが普通だろ”的な猛烈な強風を吹かせては、風を止める気もサラサラない。
もはや強制的にカフェに収容された今会ったばかりの二人。
これ、自分はぶっ飛んでるからこういうノリや出逢いはカモンだけど、一般の人がこれされたらとんだ迷惑だよな。
とりあえず二人でカプチーノ。
ドイツで二ヶ月間生活を共にしたトルコ人とは180度変わって、彼は口数も多くないしかなり落ち着いている。
「人と話すのが好き!」というタイプではなさそう。だがしかし、カフェに収容されてしまった以上、会話がないと出られない。
仕方なくよくある質問をし合っていたら、職業を聞いた途端、腰を抜かれた。
なんと、「警察官」!!!
まとめると‥
“28歳(たしか)”
“オーストリア人”
“警察官”
それまで曇っていた街に急に太陽が照らし始めたかのように、二つのカプチーノが乗ったテーブルは急に何かに照らされた。
写真を見せてもらうと、まじでポリス。なまら、ポリス。
ええポリスじゃん!!!www
通りでそのガタイの良さ。
「今自分、警察官(※オーストリア)とコーヒー飲んでんの!!?!」
と鼻水と興奮を止められない。
それでもトルコ人とはあまりなかった「沈黙」を感じる時間が多く、それがまたぎこちなく、居心地がいい。
隣の席に一緒に切り絵をしてもらった夫婦が来たところでまた少し話し、カフェを出る。
まだお昼前。
切り絵のおっちゃんに手を振り、とりあえず一緒に歩きはじめる。彼は15時にロヴィニを出るらしいが、それまでお互いノープラン。
普通に歩いて一周するのに30分もかからない程の旧市街を、ただただ歩き回る。正しくは歩いては海、歩いては海でその都度ただ海を眺めたり寝そべったり、砂浜ではないゴッツゴツの岩を手を取り合って越えていく。
第三者には、なんの疑いもなく“ただのカップル”。
ここでも会話が多いわけでもないが、次第にぎこちなかった二人の空間は変わっていく。
気付けば自然と手が繋がれていて、もう充分に街を歩き回った二人はコアな路地裏をアイコンタクトと手のリアクションのみで進んでいた。迷路のようなロヴィニで、何かの物語に迷い込んでしまったようだった。
それぞれの箇所にどれだけ居座ったか分からない。そしてどれだけ坂道を歩いたかも分からない。美し過ぎるこの国には「時間」と「疲れ」が存在しない。
そんな不思議な感覚で細い路地を通り抜けると、見覚えのある風景が二人を待っていた。
それは二人が出会った「切り絵じじぃ」のいる広い海。
海が視界に入った途端、物語からは抜け出したもののまだ現実ではない夢の中にいる二人は、一番前の席で映画を堪能するかのよう海を占領する。
「これは夢ー?」
「夢じゃないよ」
「また会えるかなー?」
「すぐにね」
なんて笑い合ったらもう、彼がロヴィニを出る時間まで僅か10分。何を話すでもなく、あるのは波の音と沈黙のみ。
さっき出会ったばかりの日本人のよくわかんない少女と、オーストリア人の警察官の目が視界のど真ん中に入り合う。
そして、彼が無言で立ち上がるのを合図に、彼の車の駐車場まで一緒に歩く。
とちょうど反対側の道からバッタリ。一組の夫婦。またも不思議なことに、初めに「切り絵」をしてもらった四人が顔を揃えた。
駐車場のゲートの前。一旦軽くサヨナラをし、「直ぐ車で出てくるから」と言った彼。
…
…
がしかし。
…
…
…
一向に出てこない。
まさか。。
まさか。。。
最後に英語聞き間違えたか??!!!
???!!
この最悪な事態に、もう何も為す術はない。
暫く待ったがどうしようもないので、
再び、今度は一人で旧市街に迷い込んだ。
切なさにも程がある理解の出来ない別れ。
カプチーノしかまだ胃に入れていない自分は、大好きなシェイクをアイス屋さんで作ってもらい、また堤防に座る。
左手の人差し指には朝にもらった指輪。
隣には警察官の彼はもういない。
やっぱり夢だったんだろうか?
裸足になってしばらく太陽と海を眺めていた。色んな人のことを想って。
一人で観る海には、
ついさっきまでの自分がもう、
映画化されて映っていた。
〈感想・ネタバレ〉
“なぜ連絡先を交換しなかったか”
きっと、二人は知っている。
最初から“終わり”が来るのを知っていて、終わりがあるからこそ、それを“終わりのまま”にしたかったんだろう。
敢えてややこしく言えば、
「終わらせたくなかった」からわざとここで蓋をしたんだろう。
この夢みたいな街での、夢みたいな出逢いに、スマホという機械を通して簡単に連絡出来てしまうことは、二人にとって美しくはなかったんだろう。
少女が最後に海で映画を観ている時、彼が車で何を考えていたかは分からない。
そこでも尚、「いまなにしてんの?」といった連絡の気軽さはきっと、二人の記憶を塗り潰してしまうこととなるだろう。
英語を聞き間違えたのか、ただ気づかなかったのか、駐車場で事故ったのか、お腹を壊したのか、真相はわからない。
それでもその「分からない」が人間の想像力を掻き立て、更にそれが永遠になることを二人は知っていたんだろう。
今の時代、調べれば何でも情報は手に入り、友達とはいつでもどこでも繋がれてしまう。つまり昔に比べて「分からない」の範囲が狭くなり、それもスマホ一つですぐに分かってしまうので“想像力”に欠け、“思いやり”に欠けてしまう。
勿論、機械化していく世の中で機械と“共存”していくにはスマホ使うな!ではなく「使い方」を人それぞれ考えればいいのだが、
どうも旅をしていたら、フィーリングの良し悪しに関わらず「連絡先を交換する人」と「しない人」がいる。
どちらにも本当はこうしてメリットがあるのだが、おそらく結構な人が出会った瞬間に「フェイスブックやってる?」「ラインは?」の流れだろう。
この、“敢えて連絡先を交換しない”という一見ドMな選択肢。
それでも必要だったらきっとまたどこかで会うんだろう。切り絵でもしてもらって。
(胸元のハートが2つあるのは1つがパーシーので、もう1つが警察官の彼のだそう。)
切り絵のおっちゃんは、こうなることを分かっていたんだろうか。
自分達以外にも、同じようなことをしているのだろうか。
“連絡先を交換する”
“敢えて連絡先を交換しない”
どちらの「バイバイ」も、
それぞれ自分は好きだ。
人間や、生花のように、「おわり」がある方が自分には美しさを感じる。
厳密には終わりではないのだけれど。