BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

自殺大国日本

 

家があるのに帰る場所が分からない

 

日本に自殺者が多い理由がよく分かる

 

自分で命を落とす者にも

 

鬱になった人にも

 

本当に冷たいんだ

 

冷たい体温すらないんだ

 

こんな世界のせいで

 

死にたがるのに

 

死にたがる人には

 

興味がない

 

死んだ人には

 

冷たい怒り

 

それが愛だと呼ぶのだろうか

 

おれは愛した人が死んだら

 

愛した人を苦しめた世界を嫌いになる

 

どんなに幸せになるのが人間自身であれ

 

ちょっとの苦しさに

 

手を差し出せる人がいれば

 

生きやすいのに

 

みんな結局自分一人に無我夢中なのだ

 

他人に興味など無い

 

それは本当はみんなが悪いんじゃない

 

必死にならなければ生きていけない

 

忙しさのせいか

 

忙しさは国のシステムのせいか

 

なんでもかんでも

 

鬱になる人が悪いなんていう世界は

 

僕は嫌いだよ

 

じいちゃんは自殺した

 

でも憎んだのは気付いてやれなかった自分と周りの人間だ

 

飛び降り自殺や飛び込み自殺をした人には

 

批判が殺到する

 

そりゃあそうだよな

 

でもさぁ

 

お前の出勤時刻は確かにすげぇ大事だよ

 

お前が家に帰れなくなるのは大惨事だよ

 

でも人が、少なくともさっきまでお前らと同じ時間を刻んで生きていた人が、

 

死んだんだよ

 

もちろんお前が知らない人さ

 

でもそれが友達だったら?

 

お前はグチグチと死んだ人へ文句を言うあいつらを相当許せないだろう

 

もしくはお前が飛び降りようとする

 

当事者になったら?

 

そんなことはねぇか他人に迷惑かけるからな

 

しかし誰にだってあんだよ

 

飛び降りる5年前から飛び降りる事を決意していた人間なんてほとんどいないよ

 

飛び降りた本人は

 

生きていた方が僕は他人に迷惑をかけていたと

 

感じていたかもしれないんだぜ

 

もしくは忙しいみんなに「相談」なんていう迷惑をかけれなかったのかもしれないんだぜ

 

それをそう感じさせないように出来たのは

 

動物でも神様でもなく

 

身近な人間だろう

 

そんな人が一人居るだけで

 

百人の友達を抱えるより生きれる理由になる

 

大人になればなるほど

 

論理的になったり他人との境線がシンプルに引かれたりして

 

友人がとても病んでいたら

 

解決への具体策を見出したり

 

元気を与えようと上から手を差し出すだろう

 

しかし共に涙を流せる程に

 

一緒に考えてくれる人

 

一緒に悩んでくれる人

 

そんな熱量のある人間はくそ少ないんだ

 

もっと寄り添う人間になりたい

 

上から頭をポンポンだけをする人間ではなく

 

横に並んで思い切りハグも出来る人間になりたい

 

僕の中でそれは母だけだ

 

母をいつぶりかに泣かせてしまった

 

僕が泣いていて

 

母も泣いてしまった

 

嬉しくも悲しくもあった

 

両方とても

 

だってそれほど重なってくれる人はいなかったから

 

そんな母の顔と涙を見たら

 

僕は僕を幸せにすることが優先だと

 

シンプルにただ強くそう思えた

 

僕はみんなに期待も希望も抱かせてしまうから

 

そんな多才な人間だから

 

みんなは僕に何を求めているのだろう?

 

こんなに他人に興味が無い人間達に

 

僕は何を提供できるだろう?

 

と考えていた

 

しかしそればかりが先行していた

 

 

 

母へ

 

あなたはとても美しい人です

 

そして誰より僕に対して熱量のある人間です

 

今日僕が泣いている時、大事にしている家族のアルバムを見してくれました

 

しかし僕は息がきゅぅっとつまりそうで「見たくない!!」と言い放ってしまいました

 

その時の哀し淋しそうな表情は、予想通りの表情でした

 

今、僕の家族が幸せじゃないかと言えばそうではありません

 

けれど昔の4人がくっついてニコニコとあまりに幸せそうな距離を見るのが辛かったんです

 

眩しすぎたんです

 

ただ写真を均等に並べただけではない、母の愛が溢れた手作りの写真アルバムは

 

僕もママと同じくらい愛しているし、僕にとっても宝物です

 

あのアルバムを見ている時の愛と幸せと優しさに溢れた微笑む女神の様な母の顔を、

 

今度は僕という人生や僕が出る映画のブックを開かさせて、見たいです

 

あの顔が世界一大好きなんです

 

母は数いる応援者のなかで、最もずばぬけて僕の大ファンであり、理解者であり、僕を産み出した人

 

23歳にもなって僕は母の腕に包まれて啜り泣く人間ですが、

 

何歳になっても関係ないのです

 

永遠に僕は一人の母から生まれた可愛い娘なのだから

 

それか逆に小さくなった母を包み込む日が来るかもしれません

 

そして腕の中にはいなくなる日が来るかもしれません

 

それでも僕達は永遠に繋がっている

 

あんなに長時間ハグをしてくれる人間なんて、これから先どんだけ長生きしようと片手も埋まらんほど少ないんだ

 

ママがママで

 

本当に良かったよ

 

少し待ってて

 

そしてまた腕の中にこもらせて

 

僕の帰る場所はきっとそこだから

 

この地球でどこよりもあったかくて

 

ぎゅうぎゅうに愛のある場所だから

 

ママの腕の中

 

それは僕がヨーロッパ中を駆け巡っても見つからなかった、ずっと求めていた場所

 

強いて言えば、愛と光で包み込んでくれたクロアチアの様な場所

 

今日ママは僕が苦しそうに泣くから、ママも苦しくて辛かったでしょう

 

当事者には当事者の痛みがあるけれど、「何もしてやれないのよ…」という何かをしてあげたい我が子に無力感を抱くのも、きっととても辛いでしょう

 

でもそこはどうか僕に癒させて

 

今日はなんだか嬉しかったんだ

 

川に行かずにママの前で泣けたから

 

そして二人で泣きながらハグすることなんて

 

本当にうちららしくて

 

ああそういえば、昔はよく小さい俺が泣いてるママにティッシュを渡しに行ったり、慰めようと傍にいたりもしたっけなぁ

 

なんて書いてて思い出した

 

そしていつもそこにはぬいぐるみがいた

 

ママはいつもおしゃべりなクセに

 

こういう時にはよしよしやハグのコミュニケーションだ

 

そんなことを思い出していたら、母にティッシュを差し出す機会はめっきり無くなったなぁ

 

と、嬉しくもちょっぴり切なくもなった

 

おうちに帰ろう

 

きっと僕は四六時中そこにいる

 

気づいてなくても常に囲まれてる

 

忘れたら深呼吸をしよう

 

そこには最も知っている愛と人間くささの混じった腕の匂いがあるはずだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女優を目指す意味

 

女優になったら、

 

「何にでもなれる(演じられる)女優を通して、私がどんな大役を演じようが、何にでもないということを表現したいです。」

 

という意味不明な事を言うシーンが見えた。

 

 

━━━なぜ女優になろうと思ったのですか?

「私が有名になってシンデレラ役を演じても、私はただの女の子になることも出来るのです。そして実際には、ただの女の子。そしてそれは誰もがそうなんです。どんな人間でも日々何かを演じています。例えば、電話に出る時には声が高くなったり、好きな人の前ではぶりっこしたり。

私は25歳くらいの妖艶なオーラを出すことも、15歳くらいの少年になることも、5歳児になることも出来ます。性同一性障害だと噂されたり、多重人格だと言われたこともあります。“キャラ変えてると疲れるよ”と言われ、どれが本当の私なのだろうか?と悩んだ時期もあります。しかし、どれも私なのでした。

 

━━━なるほど。

例えば、私が人を殺してしまったとします。すると人々はこう言うでしょう。「人を殺すような人じゃありませんでした」と。しかし、どんなに普段和やかな人でも、自分でも驚く程に怒り狂ってしまったシーンが人生に何度かあったのでは無いでしょうか?勿論、周りの人達はそんなあなたを想像出来ない。今までも、これからも、知らない仮面も持っていることです。

誰もが家族に見せる顔と友達に見せる顔、職場に見せる顔と不倫相手に見せる顔が違う様に、身近な家族や恋人でさえ、その人の“ほんの一部”の役柄の顔しか知らない。じゃあ人は一体その人のどんな顔を愛していて、どんな顔を知れば嫌いになるのだろう?と。好きも嫌いもその人のほんの一部で決まってしまうのが、とても儚く見えたんです。ならばカメレオン女優になって、どの役も私の断片でしかないことを証明しようと。役を演じている「私」だけが唯一私。「どれが本当の性格なの?」と混乱させる為に今日まで頑張りました(笑)

 

━━━〇〇さんにとって、俳優の仕事とは?

映画ではベッドシーンもあります。でも服を脱ぐシーンが無くとも、俳優は世の中に裸をさらけ出す様な仕事なのかもしれない。

 

━━━は、裸になる仕事!!(驚)

はい。人が環境や人ゴトによってコロコロと変えている3面、5面、10面の顔を、世にさらけ出すのですから。普通ならば恋人にしか見せない顔や、一人で寂しく泣く顔、一人で怒り狂う所…etcをあんなに大きなスクリーンや合鍵も無い人様の家のテレビに映りに行くんですよ(笑)

 

━━━そう言われたら、そうかもしれない(笑)

 

━━━最後に、俳優を目指している人達に伝えたいことは?

誰もが映画に出れるか?と聞かれたら、台本を覚えたりカメラが回る前で瞬時に感情的になったりするスキルは勿論必要。けれど、それが出来たからといって、映画が莫大に売れたからといって、家に帰ればただの人間。また違うお面を付けるか、一人になってお面を外す。そんなことは皆がやっています。皆が主人公で、皆が誰かの脇役、エキストラ。たまたま映画という媒体が多くの人の娯楽に関与していて、テレビの中の人間とは大きなスターに見える。それだけの事です。

ですから、俳優になる!有名になる!の動機を思い出してください。きっと既にあなたの心に答えが眠っています。自分はこれまで何に怒りを感じた事があるのか、何に切なさを感じ、何をされて悲しかったのか。または家族と観に行ったあの日の映画の感動かもしれません。強く胸に抱いてしまう事には、必ず理由があります。ガムシャラに動く前に、静かに目を瞑って知るのです。自分の心の寝静まっている部分をノックするのてす。」

 

と答える。

 

 

 

そして、独りでにこう続ける。

 

「あなたはいいね、と美人であることを妬まれるのがとても嫌でした。私は生まれながらの美人ではありません。この力強い目力も、生まれながらにして持った物ではありません。小顔やスタイルは努力。今もやめればすぐに丸くなります。目力はあらゆる事に向けた怒りや哀しみ、それらを見てきたからです。それをわざわざ自己紹介で話すと面倒臭い。だったら映画1本見てくれて、色んな表情を見てくれた方が良い。観るのがダルい人には、一生嫉妬されときゃ良い。

 

生まれながらの美人には私も嫉妬します。しかし、自信が無いという苦悩を経てから努力という日々の志で美を手に入れた美人には、生まれながらの美人には無いオーラやパワーがあるのです。

私を見て、外見は変えれるという事と、又それとは真逆の“今持っている物で既に美しいんだ”という事を学んでくれたら嬉しいです。それは毎日悪口を言っているような人には値しません。“生き方”という筆が何年、何十年とかけて顔にお化粧(アート)をする。愛が深く刻まれた目尻のシワ、人を愛してきた強みのある目力、それらが最も嘘のつけない尊い美です。」

 

 

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僕は、有名になったら、グレイティストショーマンの「Never enough」の感情になるのが目に見えていた。今でさえ天才だモデルだ言われて孤独を感じる僕が、世界規模の女優になって名誉と財を手に入れたら。余計に大きな孤独を味わうことなど知れている。それは、「僕はただの人間で、みんなと変わらないのだよ」という孤独。

 

じゃあ、何の為に女優を目指したいのだろうか?と数ヶ月悶々としていたが、まさか理由がそれと直結するとは思っていなかった。わざわざ大きな事を成し遂げたり汚い過去をさらけ出して、“人を愛する際に大事な事はそこではないのよ”と謳う。そんな馬鹿みたいなショーを繰り広げたい様だ。

 

もし配役で父親が死ぬシーンがあった時、本当にその父親役が死ぬ事に涙を流すのか、実の父親が亡くなることも重なって泣くのか、正直僕はまだ分からない。でもまだ1度も俳優をやったことの無い、学習発表会でひとゼリフだけしか言ったことの無い僕がここまで目的地を見出した。

 

つい昨日まではやるべき事が低迷していたので、また紙に人生の最終目的などを整理しようとしたら、1-2年前に既に纏めた殴り書きが出てきたからだ。

 

数年前から言ってることなんも変わってねぇ、という絶望感は、今回は「安心」に変わっていた。「なんだ、おれ分かってたじゃん。」「なんだ、ここに書いてたのね。」と。

 

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(字きったねぇ!!笑)

 

 

 

 

 

勿論、僕の肩書きである「自由」や美の感性を僕という存在から上手く奪って欲しい。この「生」を謳歌することを忘れた日本人にね。

 

そんな僕にも「やるべきことが分からない」と言ってる大学生みたいな日が続いてた。でも、他の多くの人が見えていない先の先の先である最終目的地をずっと探ってきた。

 

だからこそ、スタートダッシュは遅れてる。

 

だけどガムシャラに突っ走ったうさぎが後で息が途切れるか道に迷ってるかの間に、バイクに乗った亀さん(僕)がウィリーで駆け抜けるよ。

そして教えてあげるんだ。

 

ただ頑張っても辿り着かないこと。

 

神へのオーダーは、具体的じゃなければ通じないこと。

 

Googleマップに散らされた僕達が求める居場所も絶景も、行先を伝えなければ行けないのだ。

 

 

 

 

「この人生は、なんにでもなれる。みんなが日常的に何かを演じているように。そしてなんにでもなってみた所で、そいつはなんにでもない。みなが最初から特別な一人なのだ。」

 

 

 

 

 

いつか母校、若しくは小学校の恩師と小学校で小学生相手にトークをしたい。

 

 

大人の一言で、早々と夢を潰すことも、膨らませてやる事も出来るから。

 

 

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また無意味にここへ来た

 

雨は止んだのに視界はさっきより濡れていた

 

スピードが出る車なのにゆっくりと

 

後ろに急いでいる車がいるかバックーミラーを見ながら

 

Honestyを聴きながら(そういやこの間おねすとりーって書いてもうたな)

 

 

 

今じゃもう違う人が住んでいる元実家は

 

知らない車がとまってる

 

ナンバーにおれの誕生日の23が書いていた

 

 

 

昔と変わらない川は

 

昔と変わらない寒さと

 

冬にたまに消えるベンチのせいで

 

ブロックに座る

 

なぜか工事中の川

 

おれの中身も現在工事中

 

変わった景色と言えば

 

手元にたばこがあるくらいだ

 

 

 

なぜか父さんに会いたい

 

そう思った

 

疎遠でも何でもないのに

 

すぐそこにいるのに

 

 

 

この涙はさっきの雨の延長なのか

 

なんなのか分からない

 

 

しかし何かを思い出すように

 

泣いてしまうとここへ帰って来る

 

 

俺が何度も学生時代やついこの間まで

 

友達や一人で涙を流したり黄昏たりしたこの場所で

 

僕はまた同じことをしている

 

 

 

「ゆめちゃんまたここにいたのね」

 

と傘を持って三角屋根から心配しに来る母親はいない

 

 

当たり前だ

 

さっきまで新しい母の家にいたのだから

 

 

 

俺は何を失くして悲しんでるのだろう

 

 

 

さっきまで見守ってくれた月すら

 

もう見えないが

 

 

見えていたのが本当に月かすら

 

疑う僕が

 

 

 

信じているのは家族の愛情だけなのだ

 

 

毎度毎度

 

「無事に着いた?」

 

とメールをくれる母に

 

今日はなんだか返せない

 

 

またここへ来ちゃった

 

と言えば心配するだろう

 

 

既読だけつけておいた

 

 

 

僕は生きてるよ

 

 

 

 

僕はここからどこへ帰ろうかな

 

 

また雨が降ってきた

九太

 

僕は美しいものが好きなので

 

そりゃ誰もがでしょうが

 

生き軸の10割がそれで出来ていますので

 

自分に対しても

 

自分を置く街も

 

自分と関わる人間も

 

言えば生活の全てを美に囲まれたい

 

正しく言えば

 

囲まれるような所に身を置いてあげたい

 

のです

 

 

僕が最近顔がしゅっとしてきて

 

素直に俺めちゃキレイやん。と思えるのは

 

世間で言うナルシストの感覚とは違って

 

他人を見ているような感覚なのです

 

 

あ、写真に映ってる人キレイやん。

 

鏡ん中にいる人、キレイやん。みたいな

 

 

いつもどこか天から自分を見るような

 

他の誰かの視点というよりは

 

自分が宇宙で、

 

鏡に映る人をたまたま操作している

 

という感覚なので

 

あまり自分に惚れ込んでいる感覚でもないのです

 

 

意味わからんけど、

 

 

だから天から見た時に点のようにポツンと光る一人の女の子を

 

「あなたはそこの世界に見合ってないよ」

 

「こちらへ来なさい」

 

とつまみ出したくなるような

 

感覚なんです

 

 

 

映画に出る出る言うてますのは

 

私が有名になるのよ!ではなく

 

「この子は映像として何十年後も残しておきたい」

 

と天から見下ろす僕の目が言っているのです

 

 

この目を失わないようにしたいのです 

 

 

この人間を操作しているのが確かに僕である以上、

 

たとえばお金の不安だったり恋人への嫉妬だったり

 

自分の眼だけで考えてしまって低い波動も感じてしまうことだってありますが

 

そんな馬鹿みたいな寂しさや怒りを感じられなくなるのは

 

まだいいかな

 

おばあちゃんになってからでいいかな

 

しっかりとこの役にたまには没頭して、

 

あーだこーだ言うのもまた人間らしい

 

 

 

不器用ながらもぶつかりながら愛そうとし合った色は

 

後から見返すと愛の色に見えて

 

キレイにぶつかりもせず愛したフリをした時よりも

 

マーブルで美しいから

 

 

 

この第三者の目はひとつ間違えると

 

「こんな広い世界、ひとりくらい消えても大丈夫でしょ」

 

と思うことだって出来るので

 

良い意味でも悪い意味でも自分はちっぽけな

 

存在であると思うことが出来てしまうのです

 

 

「ちっぽけ」というのは僕の価値云々ではなく

 

空を飛ぶ飛行機から見下ろした時の

 

単に物理的なあの人間の小ささです

 

 

僕は幸せなことに

 

関わる殆どの人から愛される人間なので

 

別にこのままのほほんと今知っている人とだけ

 

暮らしても良いのです

 

 

しかし僕のそのアイ(目)が仰ることを

 

きっと僕もどこからか感じているので

 

普通の「就職」などというもんは

 

死んだ方がマシ

 

くらいに思うのだと思います

 

 

これほど何か自分に大きな「使命」を感じている人間は

 

きっと少ないと思いますが

 

今は当たり前の様に感じるこれも

 

学生の頃はまだ何も感じてなかったと思うと

 

いつ、なぜ気付いたのは思い出せませんが

 

それだけで事は動いてると思うのです

 

 

 

 

正直に言うと(おねすとりー)

 

ここ数ヶ月、進むべき道は分かっているに関わらず低迷していたのです。

 

気付いているのにそれを現実に出来ない、仕方がわからない葛藤と、なぜか僕を知る人間のほぼ100パーセントが

 

「絶対世界に羽ばたく人だよ」

「才能イカれてるよ絶対行けるよ」

「天才すぎる」

 

等と有難い言葉を浴びせてくれるにも関わらず、具体的な動き方の案や助けをしてくれる人はいないこと。

 

きっと僕が先に具体的な動き方を覚えて動き出せば皆助けてくれるのでしょうが、天才ならではの葛藤や孤独と言いましょうか?(笑)うるせばーかてめぇら少し黙ってろ!!と泣きじゃくりたくなったんです。(まじで辛いこれ。)

 

見た目も同様、「何かモデルさんとかやられてます?」「あのー…何か有名な方ですか?」とかもう聞き飽きたわ、「何か」って何だよ俺が知りてーわ、なんでこんな会う人会う人言ってくんのに現実そうじゃねーのよ、オーラの無いクソみたいなモデルや女優よりも遥かに日常的に「モデルさんですか?」攻撃喰らってるわ。もう名乗っちまおうか糞が。

 

って。

 

腹たったんです。(てへ)

 

 

20歳くらいからずっと同じこと言ってんのに、ここ数年何してたんだよ俺。という自分への苛立ちと、みんなうるせぇ世界だ女優だアーティストだなんだ言うなら俺が好きにそれが出来るように支援しろやくそが!という苛立ちと、俺の方が遥かに似合ってんのにクソみたいな日本の女優です♪とか名乗ってるただの女の多さと、芸能界のクソさと、音楽界のブラックと。

 

書いたらキリがないがしかし要約すると

 

世間と俺が見ている俺と

俺のいる現実世界の

 

差(ギャップ)がまじでイカれてるよ神様!

 

 

と頭かきむしゃりたい欲が爆発した夜が4日前くらいでした。

 

 

※久々に部屋を荒らしたい衝動にまで駆られましが、無事に作曲という音に変換する技を身につけました。はは

 

 

 

ここに歌詞を載せるにはまだ切なすぎるから

もう少し先に英語詞で歌うよ。

 

 

ちょっとみんな黙っててくれー

 

俺が一番知ってるし

 

俺が一番信じてるし

 

俺が一番見えてるし

 

俺が一番孤独だし

 

俺が一番一番だし

 

俺が一番感じてんだよ

 

 

 

天ノ弱だから単に「お前には無理だ」と言われた方がやる気でんのかなとか想像したけどそんな奴いたら鼻クソつけて去ってたわ。

 

けどそんな奴が一人もいないのが異常。でしょ?

 

全員に信じられてるのに悩むって、かわいいよね。

 

 

バタバタしてる俺みたら

 

まだ赤ちゃんみたいで

 

恐ろしく可愛いわ。

 

 

 

これに対するコメントもクソも要らない。

これからどうすんの?も要らない。

応援してるよ!もちょっと待ってて黙ってて欲しい。

 

勿論そんだけ応援してくれる人がいて俺は感謝してるよ。こんだけ恵まれる人なんていないよ。分かってるよ。

 

ただ今は静かに見守る母の様になってくれ。

 

 

本当に優しい言葉なら頂く

 

でも繊細だからねきをつけてね(うぃんく)

 

 

 

そんな、「泣き出しそうだよ」を聴きたい朝です。

 

 

 

「みんなだいっきらいだ!!!」(by愛を求める九太)

 

 

 

 

頭痛よさよなら。

今日も母を愛しています。

 

 

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

生きづらい星で僕が生き続ける意味

 

こんなに生き疲れる世界で生き続ける意味も、使命も、100万回はとうに考えまくってきたが、答えは知っている場所にあった様だ。

 

僕にとって今まで腑に落ちていた唯一の生きる理由は

「意味は無い。人生はヒマつぶし。」

という言葉だったが、それは昨日、僕の言葉によって張り替えられた。

 

 

それは「ママが生きているから」である。いや、「ママが生まれてきて、僕を産んだから」である。

 

100万回も考えてから辿り着くような場所ではないやろ、という最も当たり前の一コマ目を僕はいつしか通り越して、難しい山を乗り越えようとサイコロを振りに振りまくっていた。ふもと(はじまり)の人間の愛も忘れて。

 

気付くのは遅かったが、人は本当にしんどくて自ら命を絶とうとする時、自分を愛する者がどれだけ涙を枯らして顔をぐしゃぐしゃに泣き喚くかよりも、自分の涙で目がいっぱいで周りも見えないのである。

 

つまり何が言いたいかと言うと、僕は中学生の時に何度か死を考えた事があるけれど、

 

「生きてほしい」と態々当たり前な事を発言はしないものの、「ゆめちゃんと○○行きたいな」「ゆめちゃんに○○弾いてほしいな」と可愛い彼女の様に沢山の僕へのお願いごとや僕との思い出、僕との楽しみを“常に”抱きしめている母を想ったら、

 

一度でも「死にたい」などと言う言葉は言っちゃいかんかったと思う。

 

ママが喜ばない発言も、事もいくつかした。

 

子供同士のケンカでの「しぬ」「しね」に何故ママが本気で怒るのかも分からなかった。

 

短い人生で沢山悲しませた。

 

だけどママはこれを読んだら、どうせ「ゆめちゃんが生まれてきてくれたことがしあわせ。」と言う。

 

そしてまた「ゆめちゃんのお陰だよ」と言う。

 

自分の目が涙でいっぱいだった時には見えなかった、母のずっしりとした人間味のある暖かい泥団子の様な愛が今の僕には沢山沢山見える。

 

母が死んでも、僕の中では永遠に毎日生きているけれど、この夢かもしれない現実世界で「人間体」を持ったからには身体という物質を操作できる生きているウチに、五感を母と分かち合いまくりたい。

 

僕の料理をもっと食べさせたいし、母の料理もまた食べたいし、僕が歌う母への歌も沢山作って聞かせたい。母が話すドラマの話も聞き逃さず聞いて、オチのない話にも絶えずツッコミたい。

 

こんなことを思えるのは、僕が母から生まれたからではなく、母が僕をずっと愛してくれてるからだろう。

 

仮に無痛分娩だろうと、仮に養子だろうと、こんなに愛してくれるのなら僕のママはママでしかない。もう体も大きくなり成人した娘に関わらず、「親バカみたい」と笑ったり知人に僕を自慢げに話す美しく愛らしいママだから、僕は今こう思わさせて頂けている。

 

ママが五体を持つ限り、僕が五体を持つ限り、頭はママのボケに即座にツッコめる為に、首は方向音痴のママを見失わない為に、胸はママに羨ましがれる為に、両手はママを思いっきりハグする為に、両足はママにマッサージされる為に、三次元の世界も楽しんでみようと思うよ。

 

ちょっとふざけたけど、この世で一番美しい人は僕と母、そして僕の家族です。

 

母が死ぬのを考えると1秒未満で泣ける僕だけど、母が死ぬ時には今よりもっと辛くなれるくらい、今よりもっと思い出も笑顔も増やすんだ。

 

あいらーぶゅーまみー。