BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

アコーディオンに出逢うまで

7月12日。これから先死ぬまで共にするであろう、アコーディオンに初めて会う、忘れられん日。

その前にミュンヘンにあるストリートピアノを奏でようと早く家を出たのに、ミュンヘン、分かりにくすぎ。どこへ歩いても「目的地まで二分」と表示される。こんなに遠い二分は初めてだ。Googleマップも初めてのドイツ生活に疲れているんだろう。

ベルリンや今住んでいるニュルンベルクとは違って、スーツをパリッと着こなして髪はヘアジャムで固めた様な男性が多く、颯爽と歩く人が多かった。恰好いいけど、落ち着かない。道を聞いても急いでるような人が多かった。

「なにがミュンヘンだよ」と心の中で呟きながらストリートピアノを探すのにも疲れ、最終的に「もっと分かりやすいとこに居れよ」とピアノにも文句、そうしてるうちにもう時間切れ。

諦めてアコーディオンの待っているダッハウ行きの列車に乗ろうと、何故か目の前で列車を見送り、安定の30分遅れ。今日はおかしい。

もうどうしようもない現実を受け入れ、スマホで英語の勉強を始めるも、列車に乗ってから気付く。

 

 

 


「切符、買ってない」

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

\( ˆoˆ )/\( ˆoˆ )/\( ˆoˆ )/

 

 

 

 

 

 


ここでは日本のように改札がない。

その代わりに検察係が列車内をまわり、チケットチェック、並びに刻印、無賃乗車をしていたらそこでバカみたいな額を要求される。

切符を買うのは当たり前でしょ、っていう信頼の元みたいだけど、本当に信頼があるなら検察係もいらない。結局、検察係が車内全員をまわり、無賃乗車をしてる人には罰金、その場で払えなければ銀行振込、なんて面倒な手間をかけるのなら改札作っちゃえばいいのに。と思う。

まぁ、今のところは、20分以上の乗車のときしか検察員はほぼ来ない。からどうにか、


ならない。

 

ダッハウまでは約20分。

 

隣のおっちゃんと仲良く話していたら、、
はい、来ました、検察員。

 

 

検察員「 」

 

 

自分「( ^ω^ )」

 

 

 

 

 

 

からの、

 

  


( •̅_•̅ )

 

 


( •̅_•̅ )

 

 


( •̅_•̅ )

 

 

  

 


もう、この顔になるしかなかった。


パスポート見せろだの60ユーロ払えだの住所はどこだだの、今日一日既に悲惨な自分に、何のためらいもなく紙を突きつけ「ここに振り込め」と彼は消え去った。

このシステムが鬱陶しいのは、このような“切符買い忘れの愛おしいバカ”と“無賃乗車がしたくて堪らなかったバカ”が全く同じ扱いをされなければいけない、ということ。

「いや、そもそも切符買い忘れるってどういうことだよ」と思った人は鋭い。その通り。そんなバカはさほどいない。失くす人はいるだろうな。

にしても60ユーロとは悲惨なものだ。少しの距離タダ乗りしちゃえ!といった場合も、こんな高い運賃払えるか!という長距離の場合も同等。でも、人間が集団で生活するにはどこかでルールを定めないと、成り立たない。んだよなぁ。

あと三ヶ月で20歳になる。「○○は20歳から」というルールは非常に面倒臭いけど、「あと3ヶ月で20歳だからいーじゃん」と一人を許してしまえば今度はそれを全員のルールにしないといけなくなる。

そんなこんなで、無事30分遅れでアコーディオンショップに着くのですが、疲れ果てたので明日書きます。さようなら。

 

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画像だけ(こんな笑てる自分久々みたw)。 

恋をしました。

“声は好きなのに、見た目は好きになれない”

これほど辛い恋愛はない。

 

日本を出る二週間前まで、あらゆる人に「ストリートピアノまわってくる!」と高唱していました。

ストリートピアノを知らない方は↓

https://edmm.jp/8145/

 

がしかし、一週間前にして「ピアノ、ちょっと飽きたんじゃね?」疑惑。それはそれは大きな問題で、飽き性な自分が唯一長年続けてきたピアノ。“飽きたかもしれない”という事実を受け入れることは本当に辛かった。しかも、それも、浮気。

「ピアノより、アコーディオンしたいわ」とある日突然冷めたテンションで皆様に伝えたもんで、ストリートピアノどうなったんだよ!!なんて声もありましたが、その台詞は自分が一番叫んでいました。

そしてもう一つ問題なのは、

恋したのはアコーディオンの「音色」であって、なぜか昔から見た目がどう頑張っても好きになれない、ということ。

前者は、「音で人が集まる空間、街を作りたい」という目的は変わっていないので、手段(楽器)が変わっただけ。今思えば大したことない。

後者は、一晩泣いて悩んだ挙句、「(膨よかなおっちゃんが弾いてる)アコーディオンのイメージを変えればいい」に辿り着いた。それでも好きになれないのなら、作ればいい。

 

そして早速YouTubeを開いて、
アコーディオン 女性」で検索。

 

日本人女性のアコーディオン奏者のイメージも、自分がなりたいような「カッコよさ」ではないので外国人女性の動画を無理矢理叩き込んだ。

すると、

あれ…

 

もしかしたら、
アコーディオン

 

カッコよくない??

にまで心を持ち上げることに成功。

次の日にはもうアコーディオンしか視界にないのでした。

そして奇跡的に見つけた全身ブラックのイケメンアコーディオンくん。

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しかも、入国予定のドイツにある。

これはもう運命。

すぐに連絡をして値を聞き、毎日のようにこいつを抱く妄想をし、こいつを抱く夢も見た。

ここまでくるともう、手に入ったと同じ。

 

結論から言うと、明日出逢えます。

今住んでいる所から約2時間。

片思いのこいつに会うために一人で。

二度、お店を訪ねた所、画像のはどうやら特別に鍵盤を黒くしたのだそうで「どうしても同じのが欲しい!」と“可愛く”申し上げた所、明日までに仕上げてくれるのです。

 

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(工房。興奮でブレてる)

 

日本にいる時から画像で見ていたこいつが今もう目の前に、と思うと不思議で仕方ない。

  

※ちなみにストリートピアノもかるく触ってくるので安心してください。

 

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お店の周辺。

この可愛さ。吐き気がする。

 

 

 

バックパック、いらん。

正直、何のためにここ(現在ドイツ)にいるのかわかりません。ネガティブな意味じゃなく、イタリアやトルコはさらっとまわってしばらくここに滞在しようかな。

バックパックひとつでぐるぐるするのも好きだけども、街歩きにはバックパックなんてぶん投げて、たまには少しだけお洒落もしてまわりたい。男だったらおそらく、今頃アマゾン川かどっかの裸族と暮らしてるけど。

「観光」という名であらゆる地に足を運び入れるのはどうも自分の感覚と一致せず、それなのに自ら観光客と名乗っているようなでっかいバックパックは言うまでもなくしっくりこない。なんか、もう、 

タイミングやフィーリングが無駄に良すぎる映画のような出会いが多すぎて、何もしなくても友達は出来るし、ご飯も宿泊もほぼお金かかってないし、困ってもすぐ出会いが訪れて、気が付けば恵まれちゃう。ちゃう。

 

ところで言語は? 

って話だけど共通言語、ナシ(笑)

今周りにいるのはドイツ人、トルコ人。もう舌の使い方からして違って何言うてるか分からない。なのに日本にいるよりむしろストレスフリーで快適に暮らしてる。

感情や思考を伝える手段として多くを占める「言葉」。それが問題なく交わせる日本より、全く通じないこの国の方が生きやすいというのは、どういうことだろう(笑)

きっと、色んな自己表現の手段がある中、自分の「言葉」の優先順位は高くない。というのも感受性が酷く備わって生まれたお陰で、言葉はあまり必要ない。むしろ言葉が多い人は「もうそれ以上しゃべらんで。。わかってるわ」とストレスが生じてしまう。

それが全くない今の生活環境は、自分にとってそれはそれは心地がいい。単純にフィーリングが合うのが何よりの理由だけど。

じゃあ、
言葉なしに何で自分を表現するの?

といえば、写真、イラスト、音楽。

こんなにも迷惑なくらいに好きなことが芸術面に偏っている理由は、そういうことだと思う。

言葉は、あくまでも感情や感覚に一番似合った言葉を着せているようなモノで、だからたまに「ありがとうとごめんが合わさった言葉があればいい」というのはその微妙な感覚に合わさった言葉(洋服)が見当たらない、ということだと思う。

自分にはその感覚に着させるものは言葉ではなく、写真やイラスト、音楽の方がよりピッタリとハマる。

それは贅沢なことで、言葉を発せる口も、誰かを抱きしめられる腕も、一瞬で感情を表せる顔(表情)も、必要以上に沢山持っているのに、それではしっくりこず、さらに物を使う。

もし、自分がおしゃべり好きな一般的な女性で感情や思考に言葉を着させるのが得意なら、カメラや絵や音楽は別にやらなくたっていい。

でもたまたまこう生まれてきてしまったのだから、わざわざ「上手く喋れるようになろう」とか無駄な努力は良して、芸術面を極めていこうと思う。

に加えてたまたま五体満足で口や目も耳も備わって生まれてきたのでその子達も存分に使ってみようと思う。

段々、カメラ、イラスト、音楽、それぞれでどんな感情や考えを伝えたいのかがハッキリしてきた。

 

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これからのこと


これからのこと。

7月1日からの90日間、ヨーロッパの方で過ごして、
帰国したら博多に飽きんくらいの間ちょっと住む予定。
そしてすぐにバリ島(今のところ)。

で知人のトルコ人写真家が「一緒に働こうぜー」と言ってくれているので、
まぁ、そんなノリで。
 
旅の理由を説明する場面があまりにも多く、、
 
 箇条書きすると、
・街並みが落ち着く
・海がある
・外国人の方がコミュニケーションがしやすい
・自分のしたい服装が出来る
・日本にいるより変人扱いされない
・カッコイイ女性が沢山いる
・なんとなく
  
田舎から都会に引っ越す人に対して、
なんで引っ越すん?とかわざわざ聞かないのに、
海をちょっと越えるだけで「なんで」が殺到。
 
めんどくさい。
 
ただ好きな所に引っ越す。それとおんなじ。
 
日本に生まれたんだからといって
無理に日本で暮らそうと頑張る必要はないし、
日本人らしく居座る必要もないし、
 
ホッキョクグマが温帯に生まれちゃったように、
ラクダが北極で生まれちゃったように、
「ちゃった」という表現は決して正確ではないけど。

日本の美徳が美しいか美しくないかではなく、
海外の方がたまたま美を感じる部分が多い。
 
そして自分はやりたくない仕事や就活を
嫌々言いながらも頑張れる強い人間ではない。
 
周りの風景、土地の雰囲気、人柄...etc
とても影響しやすい弱っちい人間だから、
日常の中で美を感じる瞬間を出来るだけ長くしたいと思う。
 
「行動力はんぱないな」と18歳~60歳の友達に言われるけど、
自分にはこの生き方がラクで、むしろ就活なんて到底できない。ぶっ倒れる。
 
この生き方してると「なんで?」と聞かれる場面は腐るほどあるけど、
自分には世間で普通とされていることや人の行動に対しての方が、
「なんで?」が止まらない。
 
もう好きなことで生きていける時代は来てる、というよりは
嫌々人間がやる仕事はロボットに奪われていく、時代なのに、
未だに「仕事ってのはなぁ」「世の中なぁ」なんてボヤいてるおっちゃんがいる。
 
そういう人は至って俺が正しいという顔で
お願いしてもいないのに説教染みたことを言う。
 
でも有難いことに、おっちゃん、 
あなたは自分が一番なりたくないタイプの人間です。
 
 と心の中、ではなく口に出して後はスルー。
 
そんな人間の話聞いてるヒマあったら、
自分が尊敬する人、既にその道を行っている人の話を聞いた方が100倍も効率がいい。