BOKETTO

19歳。高校中退後、「好きなことだけして生きていく」ことを決意。高校時代に経験したサロンモデルをきっかけにカメラに恋をし、その他イラスト、ピアノ、旅、多すぎる趣味と日々恋愛中。現在は片思い中のドイツにあるアコーディオンに会うため、ヨーロッパへ。

お金、いらないかも。


久しぶりにアコーディオンを抱えて公園に行き、帰宅。夜の22時。興奮状態のまま、記事に残しておく。

 

今日は人が少なく、練習する場所を割と選べたのでベンチに座って弾くことにした。その選択が後の自分の首を絞めるとは知らずに。

 

練習を開始して一分も満たないうちに、一人のおじさんが話しかけてくる。こいつがもう、記事に書く価値もないくらい酷い酔っ払いで、一瞬にして公園が彼の舞台(ミュージカル風)へと変化する。ただでさえ共通言語がなく訳分からないのに、そこにアルコールが加って正にセカイノオワリ。途中退席も出来なかった。

 

通行人に助けを求めようと、道行く人を観察していると感じの良いお姉さんが現れたので、すぐさま「英語話せる?!何が起こってるかわからん!たすけてや!」とヘルプを求む。自分の直感はやはり鋭い。彼女は英語も喋れる上とても優しく、「私達はここを離れないとダメよ」と手を引いてくれ、見事に彼の舞台をも中断させた。

 

そしていつもの階段で練習しようと少し歩くと、またもやおじさんが話しかけてくる。このおじさんもまたドイツ語のみで、驚くほど何も通じない。驚くほど何も通じない(二回言いたい)。驚くほど通じないのに(三回目)、嫌気がさすほど彼はめげず、大した会話でもないのに随分時間を奪われた。

 

ここまでに、約一時間。

 

「家では思い切り弾けないから」と公園に来たはずなのに、これじゃもうどこへ行っても練習にならない。

 

やっとの思いでいつもの階段で弾き始めると、今度は自転車に乗った青年が階段の下で車輪を止めた。見覚えがある。ついさっき「good」と手でサインをくれた青年だ。わざわざ自分の元へ戻ってきて、「聴かせて!」という青年はとてもピュアだった。青年とは連絡先を交換。“友達”の生まれ方に難しいことは必要ない。

 

そしてまだ終わらない。

 

暗くなるまで時間が少ないので、周りの世界は遮断して音と自分“二人きり”になりたく、川沿いに移動。初めて練習といえる名の練習ができ、暗くなってきたのでそろそろかと思う頃。

 

背後をみると一人の男性(おじさんでも青年でもない)が丸太に座っている。何しているのか聞くと、「演奏を聴いてるんだよ」といい、会話がはじまる。その中で、“財布を失くしてお金がない”話もするのだが、それに対し彼の口はとても優しく開く。

 

「それじゃ、こんなとこで弾いてたらだめだよ。メインの駅に行って弾かないと。50ユーロはもらえるよ。私の友達はそこで楽器を弾いて30ユーロ稼いでた。」

 

「パーシーの演奏はとてもいい。それに、殆どの人がアコーディオンの弾き方を知らない。だからみんな、立ち止まってしまうよ。」

 

光が指した。


が、そんな彼に自分が返した言葉は一言。

 

「お金が無いからそこまでの切符も買えないもーん。」

 

すると彼はポケットから財布を取り出し、小銭を差し出してくるではないか。6ユーロ。ちょっきし、行きと帰りの切符代。なんてクレイジーな。連絡先は交換せず、“またここで会えること”と、“明日メインの駅で弾いてくること”を約束してかたく握手をした。

 

一度公園に来ただけでこんなにも出会いがあるのなら、毎日公園に出向いていれば今頃何人と出会っていたのだろう。どんな人との、どんな出会いを逃してきたのだろう。なんて考えながら耳にはRADWIMPSを流し込み、家に向かう。

 

この時、新たなるミラクルが待っていることは知らなかった。

 


狭い歩道。向こうから来る自転車を避け、アイコンタクトで合図をする。外国にはよくある目で会話をする光景。それにしても、何だろう、何かが、おかしい。「道を譲る」という一瞬だけでヤケにフィーリングが合った。当然、後ろを振り返っても、自転車の彼はもう見当たらない。

 

瞼に彼の残像を残しながら不思議な気持ちで歩いていると、あろう事か、どこからか自転車が現れた。彼が道をUターンして戻ってきたのだ。こんなこと、あんのかよ。

 

とも思わず、それが当たり前であるかの様だった。彼は「ゆーすぴーくじゃーまにー?」「ゆーすぴーくいんぐりっしゅ?」と言い、続けて「あいあむあらびっしゅ」と言うのだが、これには腰が抜けた。今同居しているトルコ人との出会いのシーンと、全くもって同じだったのだ。

 

これにはアドレナリンも黙っちゃいられず、トルコ人との同居で覚えてしまったアラビア単語を次々とこの世に吐き出した。

 

更に気持ち悪いことに、彼とも翻訳機を交えた三人での会話になるのだが「あなたのこと見たことある気がする」と言うと、“みーとぅー”と返ってきた。流石のGoogle翻訳機も腰を抜かした。

 

 

もう、わや。

 


彼とは家の近くの信号まで一緒に歩いたが、6ユーロおじさんの後のこの出会い。気付けば辺りは真っ暗。向こうの道路には同居しているトルコ人がいて、わざわざ迎えに来てくれたみたいだ。

 

信号が青になり三人が合流すると、自分がアラビア語を話したことや、出会いのシーンが全く同じだったことを話して盛り上がる。

 

帰宅すれば、お腹空いた?とご飯が待っており、隣の家のおっちゃんは意味分からないデカさのスイカとスイーツを持ってくる。一銭も払っていないのに、食後のデザートまで付いて宿泊出来てしまうとはどんなイカれたホテルなのだろう。

 

ついさっき会った自転車の彼も、「いくら必要なの?日本からお金届くまで必要でしょ?」と言ってきたり、この間公園で友達になった友達も、トルコ人も、みんな同じセリフを言ってくる。

 


もう、お金、いらないかも。

 

 

「財布失くしてお金がありません助けてちょ」とネットを介さず身近でクラウドファンディングを成り立たせてしまっているようなものだ。

 

クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。 ソーシャルファンディングとも呼ばれる。”

 


ということで、今日は重たい6ユーロと重たいアコーディオンを抱えて、街に繰り出すします。

 

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(練習場所w)

 

 

ミラクルだらけで禿げそうです。

財布なくして、愛を知る。

毎週水曜日と土曜日は近所でフリーマーケットが開催されるので、ちょっぴり楽しみに早起きする日。太陽に弱いぼくが唯一気持ちよく朝日を浴びれる日。んな訳でこの日も早起きしていざレッツゴー。

 

、、のはずが消えました。オサイフ。

 ドイツ来てから物消えすぎかよ( ˙꒳​˙ )

 

 この記事に書いた少女達を疑いたい所だが、最近来てないのでおそらく自分が失くしたにちがいない。

 

最後に使ったのは月曜日。近くのスーパーでのお買い物。そして100円もしないクロワッサンに、スーパーを一歩出た途端に喰らいつたのが最期。

 

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非常に皮肉なことに、この最期を知らせてくれるかのようにカメラロールに佇むクロワッサン。まさかこのクロワッサンが警察や損失物取扱所の色んな方々に見られることになるとは、想定外だった。お恥ずかしい。

 

問題はここに置いていったのか、それとも家には持って帰ったのか。人間の脳はなんて愚かな、探せば探すほど記憶は遠ざかる。だが家になく、お会計した所までの記憶は確かとなればクロワッサンと一緒に食べてしまったことしかありえない。

 

徹底的に部屋の捜索をした後、しばらく時間が経つと「やべー」期間は過ぎ去り、現実を受け入れる「明らめ」期間が訪れるのだが、この明らめ期間、何もかも笑えてきてしまうのだ。キャッシュカードの使用停止は真っ先にして、呑気にアコーディオンを弾きだす始末。

 

するとお昼寝していたトルコ人が、「おまえなにやってんねん!一大事やぞ!なにアコーディオン弾いてんねん」 と家中を物色しだすので、「こっちはもうそういう期間終えて悟り開いてんだよ」と顔でアピール。

 

 するが、彼の勢いは止まらず、手を引かれ二人で警察に向かう。ここからがカオス。

 

「明日ここに電話すれ」とおっちゃんポリスから一枚の紙を渡され、次の日そこに電話すると、またもや「明日にしてくれ」と言われ、次の日そこに行くと、「ここに行ってくれ」とまたもや別の紙を渡される。これで最後かと思いきや、そこでもネタかと疑う一言、「ここに行ってくれ」を喰らう。そしてまた、また紙をもらう。

 

…いや、いやいやいや、そこ、今行ってきたんだよお兄さん。

 

ていう感じで、さすが、外国。

嫌いじゃないんだよなぁ、そういうとこ。

 

紛失届はなんとか作成してもらい(クロワッサン画像に場所や時間が残っていて大変救われた)、なんと言っても所持金がゼロなので、キャッシュカードは再発行、現金は親から送金してもらうことに。

 

これからの一ヶ月間はマルタ島クロアチアスロベニア、スペイン、パリ、トルコと忙しく動き回ろうとしていた矢先。飛行機が最安値の日で全て計画しており、28日にここを出る予定だったのでもう間に合わない。計画は全てパーだ。

 

そんな最悪な状況。のはずが、あれ?今日も胃の中はピザやコーラやチキンでぐちゃぐちゃだし、退屈する暇なく表情筋は動いてるし、贅沢な真っ白いソファで身体は眠っている。

 

何とか“なっちゃってる”。

 

生き“られちゃってる”。

 

全ては同居しているトルコ人のお陰で、彼との出会いはまた別に書くが、彼の友達もまた列車代を払ってくれたり、隣の家の売店のおっちゃんもグミや飲み物をくれたり、と妙なことに財布を失くしたのにも関わらず何も変わらない景色が広がっている。

 

これは約一ヶ月間、一緒に過ごすことで自分が創り上げた「信頼」の対価でもあり、お金よりも信頼が勝る、または信頼がお金になるとは正にこういう事だと身を持って知る。勿論、それらをどうってことない顔で熟してしまう彼らの愛も。

 

そして同時に親からの愛も知る。

 

財布を失くして真っ先に浮かんだのは、情けないことに「親に怒られる」であった。でもそれも一瞬。正直に旨を伝えたところ、最初から財布を失くすことを知っていたかのような落ち着いたリアクション。その余りにも素っ気ない穏やかな声が、“高校2年の修学旅行”の記憶と直結した。

 

行先はベトナム。空港についてすぐトイレに携帯を置き忘れ、そのままiPhoneとはベトナムでお別れ(この時は子供のように大号泣w)。その時も同じように「親に怒られる」が真っ先に浮かんだのだが、母は一切怒らず「ゆめが無事で良かった」とだけひたすら言うのだ。

 

その時と全く同じだった。

 

今回はそれ近い言葉も一言もなかったが、二十歳を手前にした今、言葉はなくとも何ら変わりのないどっしりとした親の愛情は鋭敏に感じられた。異常に娘を愛してる母が、その愛娘を一人で外国に行かせる覚悟とはそれくらいのものなのだと改めて思う。

 

次の日、母との電話でこのことを伝えると、「あら大人になったね〜」なんて母が言い、「は?」と笑い合う。物理的な距離とは不思議なもので、離れてると照れ臭いことも言えてしまったり、相手の存在自体も遠く感じたり、また近く感じることもある。

 

日本にいる友達も皆、それぞれ違った優しさや言葉をさらっと置いていくので、この日は色んな感情が溢れて気持ちのいい涙が止まらなかった。涙と鼻水でandroidが水没手前だった。

 

 

話はガラリと変わって、スペインのバルセロナでテロがあったみたいだ。こういう危険から身を遠ざけようとドイツに留まざるを得ない状況下にしてくれたのか、もうストリートでアコーディオン弾いて稼げよってことなのか。いまは最悪にしか見えないこの状況も、存分に活用することで、少し先の自分の目には「あれがあったお陰で〜」と最高な状況にしか見えていないこと願う。ていうか多分そうなる。

 

「海外でキャッシュカード入りの財布を失くす」

 

よっぽど大したことなのに、こんな大したことでも、一歩外へ出ると誰一人そんなことなど全く知らずに歩いている。彼らもまた、大したことを抱えて歩いてるのかもしれない。が、そんなことこちらは全く知らないし、知ろうともしない。

 

空を見ると、空もまたそんなこと全く知らない素振りで青く晴れ、雲もまた淡々とただ流れている。地下鉄に目を流せば、今まで通り人が流れていて、そこには何の変わりもない“日常”がただ存在している。昨日、久しぶりに外出らしい外出をして、一気に“事の小ささ”を身に染みませた。

 

バルセロナで人が死んでるというのに、他の国では子供が撃ち殺されているのに、パーシーが財布を失くしてお金がないのに、そんなこと知らない人は大勢いて、知った所でその人にとっては「恋人のLINEが素っ気ない」だとか、「明日のデートの服はどっちがいい」だとか、前髪の分け方の方が遥かに重要なのだ。

 

「なんて広く小さく、平和で残酷な世界なのだろう」

 

なんて考えていた自分は今、そんなことより 、一刻も早くマックシェイクのバニラ味を飲み干したい。 「お金はいらないのでシェイク下さい」とでもドイツ語で看板立てて、アコーディオン弾いてくるかな。

 

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「カルースの涙珠」

(財布を失くしたお陰で、出来上がった絵)

 

もう既に、財布を失くしたお陰でブログの記事や絵が生まれているが、こうした負の出来事を作品に変換してしまう“テイラースウィフト的”な力は生きていく上で自分にはとても重要な作業のようだ。

 

おやすみなさい。

どこからが“騒音”なのか

 

 先日、アコーディオンを買ったものの、予想以上の音のデカさに困惑。練習場所がない。

 

初めの頃は20分かけて川沿いの公園に出向いていたものの、歳をとった今、そんな元気はない。そこで、「いい場所発見!」と近所の駐車場(といっても無駄にだだっ広くほぼ誰も来ない)のど真ん中で、気持ちよく鳴り響かせていた。


そして、事件は起きる。


青空の下、たまにサッカー少年と笑みを交わしながら永遠に同じフレーズを練習していた時、突如、“チャリに乗った見知らぬ主婦”が目の前に現れた。

てっきり演奏を褒めてくれるのかと思いきや、


「私の家のリビングはすぐそこだわ、ここは住宅街よ、他の場所でやってくれる?」


ドイツ語など1ミリも分からないのに、こういう時に限って嫌なほど通じてしまうものだ。忙しいとこ、わざわざお買い物帰りのチャリのまま、あざす。それにしてもどこの国の主婦も話が長い。一言でいいっす。

 

すぐさまOKとSORRYを伝え、その時は「そんなに聴こえるのかぁ」と軽く受け止めていた、がしかし。

 

少し冷静に考えてみると、「ほんとにそんなうるさかったか?」と湧いてくる疑問。そしてどこからか、虚しさ。

 

“どこで弾いてもうるさい『楽器』なんてものを一体どこの誰が、誰の為に作ったんだよ”


と、たかが主婦に注意されただけでコチラの世界は壮大なもの。しばらくアコーディオンを抱きながら寝転がっていた。


実際、駐車場で練習していて、たまに通る歩行者のほとんどはニコッとしてくれる。100人いて99人がうるさいと思わなくとも、1人の主婦がいればアウトなのか?それとも99人がイイと思ってるのだから1人が我慢するべきなのか?

 

公園で弾いていても、聴きたくない人も居るだろう。どこへ行っても聴きたくない人は、聴きたくない。どんな優雅な演奏をしても、チャリの主婦には「雑音」でしかないのだ。

 

じゃあもう“楽器好きしかいない街を作ってしまおう”とも思ったのですが、人間だもの、楽器好きでも静寂に浸かりたい時はある。

 

ならば、「人様の耳を切り刻んで空から降らしてやろう」と中ニ病のような思考に至るまでストレスが達してしまい、流石にそれは出来ないのでそれは“絵”に転換することにしました(結局、集中出来なくやめました)。

 


翌日。渋々、公園まで歩く。

 

いつものように階段に座って音を鳴らし、いつものように沢山の笑顔をもらう。脳裏にいる主婦の存在力に負けるように、気付けば黄昏た曲ばかりになっていた。

 

すると、

「少し離れた所でずっと聴いてたけどとってもいいわ」

 

仲のいいご夫妻が穏やかな笑みとお菓子をくれた。

 

話を聞けばハンガリー人だというので、「昔3ヶ月だけ住んでたよ!」と話が弾んだ。外国のお菓子!という感じの味で、通常食べたら美味しくないのだろうけど、“チャリ主婦事件”があった後。この日は泣きそうになりながら頂いた。

 

 

結局の所、どこからが騒音なのか、法律もなければ、人の感じ方も時と場合によるのでもう答えがない。一人が楽器の練習をしていて誰の気にも障らなくとも、それを見た人が「あっ、ここで楽器弾いていいんや」とマネをし、それを見た人がまた…となれば当然音は大きくなり“騒音”になるだろう。

 

「耳」というものをとても厄介に感じる。目も耳も、見たいもの聞きたいものだけをピッと選択出来ればこんな面倒なことは起きない。ストリートで「似顔絵書きます!」とかイラストを売っている人は、興味ない人には何も迷惑かけないのに、ストリートミュージックとなると、そうはいかない。誰の耳にも入ってしまう。

 

音楽好きには「タダで」「生で」「間近で」聴けてしまうという最大の特典のあるストリートミュージックでも、そうでない人にはもう迷惑中の迷惑なのだ。

 

となれば、初めからここでやりますよ!といったライブ会場を設けるのが手っ取り早いが、自分が求めているのはストリートに音が転がっている“景色”。そしてそこに広がるコミュニケーション。

 

なので、ここまで書いといてアレですが深く考えるのやめて、とりあえず「“音楽好き”の人の耳には不愉快がない演奏レベル」にはしておこうと思います。

 

それにしても、「うるさい」と騒音を感じる方も「うるさく」楽器を鳴らす方も、耳の聞こえない人からしたら贅沢なもんだよなぁー。

 

8月末にはドイツを出てイタリアかどっかで弾くつもりです。

 

そん時また改めて書きます。

 

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(この間フリマで買ったうさぎが家出したので、またもやフリマで3ユーロ。名前はショーン。)

 

 

 

 

 

ババアになっても恋をする。

「恋をしている女のコはキラキラしている」のなら、死ぬまで恋をし続けたい。

 

誰かを好きになった時はメールが来るだけでルンルンしたり、デート当日はもちろん、デートの服を買いに行くところからもうルンルンしているものだ。過ぎ去るように毎日が流れていく。

 

そんな女のコは見た目が可愛くなる一方で、明らかに内から出るものがある。体の底から満たされている幸福感や恋のルンルン感を、体が受け止めきれず外にまで放出してしまっている状態。

 

何もしていなくてもどこかルンルンしているので、他人にもルンルンウイルスを感染させてしまう。

 

そしてキレイになっていく女のコを見て、男性陣もルンルン飛び跳ねていく。

 

つまり、自分をハッピーで満タンにして、

周りをもハッピーにしてしまう。

 

 

恐るべき、恋する乙女。

 

 

それならば常に“恋している状態”を保てばいい事だらけであり、みんなが恋する乙女になってしまえば、とりあえず世の中平和だ。

 

ということで、「日常でどれだけ“恋のルンルンタイム”を増やせるか」を実践中です。

 

対象は何だってよくて、たとえば新しいシャンプーを買った日のルンルン感。新しいスニーカーで初めて外出するルンルン感。(最大のルンルンは“クリスマスの翌日お母さんよりも早起きして届いたゲームをするあの感じ”だと思ってる)

 

そんな時間を1日のうちで少しでも多くしていけば、人間、歳をとることはないんじゃないかと本気で思っています。

 

逆に、“何がルンルン感を阻止するか”も知っておかなきゃいけない。せっかくルンルンにゲームをしていたのにお母さんに取り上げられてしまった時の絶望感は出来れば味わいたくないもの。ルンルンタイムを妨げるものは出来るだけ排除したい。

 

そして何より、そういう生き方をしている人は「幼い」とは違ったいい意味で“子供らしさ(純粋さ)”と、“内から出る美しさ”を兼ね備えている。

 

ヨーロッパを歩いてたらよく見かける、眉毛シャキーン、お目目パッチリ、口紅ガツーンの完璧を装った美人ではなくて、眉毛はちょっとぼそっと、口元はヌーディ、髪はお風呂上がり、みたいなアンニュイさのある美人の方が自分は好きだ。

 

外見も中身もそうでありたい。

 

その為に、これからも何股か数え切れないくらいの人や物に恋をしていきますが、温かく見守って下さい。

 

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さよなら、俺のアディダス。

買ったばかりのアディダスのジャージが姿を消した(上だけ)。これで物が消えるのはドイツに来てから3回目。それも消える筈のないものが見事に姿を消すという奇妙なものなので「流石にちょっとおかしんじゃない?」ということで、

 

「いろんなものが消える」

早速、Googleさんに調べてもらいました。

 

ちなみに、この家に着いてまず最初に無くなったのが唯一の上着であったパーカー(GU)。続いて、換金したお金も若干無くなりました。そして新たな上着として購入した、アディダスジャージ。1週間も経たないうちに消えた。

 

全部、失くしたとしても家にあるはずの物だし、お金なんてバックから出してない。すると辿りつくのはもう、Googleさん曰く、オカルト説。ブラックホール説。異次元説。

 

でも一つだけ、心当たりが。

 

最近、うちに女三人組がやって来ていた。

 

同居しているトルコ人(男)の友達だというので家に入れると、夜の9時半まで自称“ディスコ”が始まる。トルコ音楽を大音量で流し、タバコみたいな煙出るやつ(あれなんて言うんだろ)で部屋は煙まみれ。色気のあるようなダンスも終始踊っている訳じゃないし、何がしたいんだか分からない。

 

そんなとき自分はというと、つまらない群からはすっと消えるのがモットーであり特技なので、隣の部屋にすっと避難。“ディスコ”に負けぬようアコーディオンを鳴らそうと、気付けば耳にイヤホンをさして黄昏れている、19の夜。

 

そんでだ。

 

彼女達が帰ったあと、トルコ人が「俺のイヤホン知らない?」というので「知らんよ」というと、「盗まれた。取り返してくる!」と盗んだバイク(※)で走り出す。行先もわからぬまま(※正式には買ったばかりのチャリ)。

 

帰ってきたと思うと、「イヤホンは返してくれない上に知らないフリをするし、あいつらわやだ!」と彼。うん、知ってる。なんでそんな子達と友達なんだ?

 

 

そして次の日の朝。

 

トルコ「俺の時計、知らない?」

 

 

あ。

 

 

あ。

 

 

 

ちょっと待って。

 

 

自分「こっちはアディダスジャージが消えた!!!!」

 

 

 

トルコ「…そういうことか、、。あいつらふぁっく!!!(女三人組)」

 

 

 

てなわけで、次の日も彼女達はドアを叩いてきましたがゴメンなさいしました( ˙꒳​˙ )

 

 

皆に聞けば、「少女達はgypsy(放浪者)だ」というのですが1人の薬指には結婚指輪が。もうこの際、「アディダスのジャージであんたら幸せになれるんやったら自分、何もしていないでも(物盗まれて)誰かを幸せにしてるじゃん!」とまで心を抉ることにしました。

 

ここで一番言いたいことは、盗まれたものがCHANELだろうとGUだろうとそんなのどだっていいんです。

 

でも、最初に無くなったGUのパーカーは、たかがGUのパーカーは、自分にとっては日本を出る前に母が買ってくれた大切なパーカーだったんです。

 

アディダスだって、アディダスショップで買ったアディダスだったら、ここまで心は殺られていない。フリーマーケットで眺めていたら、感じのいいお兄さんが一生懸命説明して、丁寧に手渡ししてくれた、大事なアディダスだったんです。

 

そこには大事なストーリーがある。

 

“古着”や“古本”なんて自分が買って始まるストーリーの前に、既にもう、沢山のストーリーが詰まってる。

 

んなことも知らんで、彼女達は「物を盗んだ」だけだと思ってるかもしれないけど、もっと深いものを盗んでんだよ(ってもう100%彼女達盗んだていで書いてますがそこはのーぷろぶれむ)。想像力が足りない。

 

だから、駅を歩いていてくそみたいな落し物を発見したら、「拾わんでよかったのに」と思われても拾ってあげる。

 

「あ、あの人なんか落っことしたけどなんだ紙切れか」と思ったその紙切れは、その人にとっては大事な人からの大事な手紙かも知れない。

 

逆に、物盗みの彼女達にはただの「盗んできた物」 というストーリーもくそもない物に値する。

 

「盗まないと生きていけない」といった容姿では到底なく、お洒落もしてしまっているところがコワイ。1人、誰の子かわからん小さい女の子もたまに来るんだけど、そんな大人(子供)の背中を見て育っていくのだなーと思うと、こえー。

 

 

それでは聴いてください。

 

俺のアディダス

 

 

 

さよなら、俺のアディダス