BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

愛をしらぬ人

 

ぼくらは愛し方も

 

愛され方も

 

学校で習うわけでもなく

 

そうなればどう愛されてきたか

 

それだけが

 

自分の中での知っている愛になる

 

 

映画の世界でどれだけ愛を見ても

 

愛を形成する食材は親からの愛に尽きる

 

 

その形が歪であれば

 

それを受け取って育った子も歪になる

 

 

大きければ良いかといえば

 

それが返ってバランスの取れていない愛を知ることになったりもする

 

 

放任主義も過保護も過干渉も

 

「いい子にしなさい」も

 

「100点を取らなきゃあなたはだめなよ」も

 

本当はぜんぶ子が生きてくれてるだけで最高にThank youなのに。

 

愛が子供に伝わっているなら良いけれど、伝わっていない状態で勉強やら何やら押し付けまくっている育児をしている人はぶっちゃけほとんどに感じる。

 

その育児が、愛し方が、子供が大きくなって誰かを愛するとき、その子やその恋人にまでどんな影響を及ぼすのか知っていないんだろう。

 

子が自分でそれに気付けたなら良いけれど、気付けたところで必要なのは母か父、はたまた両親両方なのだ。

 

これには兄弟図も関係しているし、多くの場合は男は母親から、女は父親からの愛を幼少期に上手く受け取れなかった人が多い。よって父親に似たかなり歳上の人しか好きにならなかったり、DVの父を見てきた男が恋人にも同じようにしたり、好きな人が出来ても「このままの私を愛してよ!」と狂うような求め方をしたりする。

 

その暴力も、心の声も、恋人ではなく両親にあてたいのに。“そのままのあなたが好き”という言葉は恋人ではなく両親から言われたいのに。

 

ということを本人も気付かず、恋人とも上手くいかない。ただでさえ盲目的になっているのに、まさか幼少期に問題があるなんて思っちゃいない。

 

そんなことがこの世の中で沢山起こっている。

 

でも別にこれでいいのだろう。

 

気付く人が偉いから早くみんな気付けばいい、と願ったって、DVパパの真似をして恋人に今DVをしている人は、今それをすべきなんだろう。

 

といったら誤解があるだろうが、全ての人が同じタイミングで目覚める訳がない。その人には気付くために必要な過程なのかも、しれない。ひょっとしたら今世ではそのまま、死ぬかもしれない。

 

 

 

 

 

先生が公式を教えてくれないのは

 

公式が分からないとか

 

愛に公式がそぐわないとか

 

そうではなくて

 

愛そのものがなんであるかを

 

だれもしらないから

 

 

そんな人間が次々に子供を産み

 

街には怒鳴って怒鳴って笑っている顔すら想像のつかない親と

 

もっとぼくを愛してよと泣きじゃくる子供がいる

 

 

そんな世の子をみんなまとめて抱き上げたいと思うけれど

 

無償の愛で抱きしめるべきなのはその怒鳴って怒鳴って仕方がない親

 

の方もみーんななのだ

 

 

みんな愛されなかったのだ

 

 

みんな

 

愛されたかったのだ

 

 

今からでも

 

あいされたいんだ

 

 

 

 

 

 

 

ロエベ

 

愛していた財布が消えた。

 

中の現金はどうでもいい。あの財布が誰かに取られたことがショックで病む。

 

仮に30万入っていたとしても、それはまた稼げば良い。また手に入る。

 

あの誰よりも優しい鞣し革だったあいつとの別れが辛くて仕方ない。

 

いつも磨いてあげるほど大好きだったのに、あそこに忘れてしまったのは僕だ。

 

警察に確認をしたら、忘れた場所と全然違うところで中のポイントカードだけ発見されたらしい。イコールもうスられたとしか考えようがない。

 

ちょっとヤバいのは、中に入れていたカードどっちゃらもそうだけれど、他の物だ。

 

渡すはずだった愛に塗れた手紙と、おれの満面の笑みの写真を入れていた。

 

それを読んで、見て、そんな財布を使えるだろうか。

 

人は友達といる時にはついふざけて恥ずかしがって良心も投げ捨ててしまうから、あの手紙もおれの満面のスマイル写真も友達同士で爆笑物にしてくれたんだろうか。

 

だとしたらそれはそれで光栄だ。

 

 

拾ったのが一人だとしたら。

 

あの手紙と写真とバストサイズの書いた下着屋さんのカードを見ては、おれなら使えない。いやクレジットカードのフルネームを見ただけでも使えない。

 

その人がどんな人だか想像できてしまうからだ。

 

カードの名前が“TAKUYA KIMURA”だったとて、その人がキムタクのファンでなければホイホイ使っちゃうんだろう。

 

キムタクのファンでも、それを喜んでみんなに自慢する奴もいる。

 

 

愛着のある物を失くすのがこんなに辛いなら、ぜんぶ愛着のない物にしてしまいたいけれど違うんだ。

 

失ってこんなに悲しい物が、人が、いることはある意味ステキなことなのだ。

 

いや、辛ぇわ。まじで。

 

死んだペットが死んだ時、「飼わなければ良かった」と思うのはうんこだ。

 

拾ったのは想像力のない人間か。

 

財布が帰ってきて、そいつからの手紙と満面のスマイル自撮り写真なんて負けじと入れてくれてたら、そのユーモアは大いに尊敬する。

 

 

プライベートの蓋をことごとく知らない誰かに開けられてしまった。

 

警察よ、頼むから中身は全部いらないから財布だけでも取り返そうぜー。

 

おれにしては、あの財布にしてから初めて数ヶ月も財布を無くさないという新記録を叩き出したが、やってもうた。

 

いつも動こうとする前は、何か起きる。

 

 

黒カレー

 

久しぶりに一人で外食をした。

 

無駄に美味く感じた。

 

 

 

母の手料理を食べる機会もなくなり

 

自分は誰かに作る方で

 

腹が減ればコンビニでは簡単に何でも食べられてしまい

 

 

お洒落なレストランの物理的に美味しい料理も好きだけれど

 

近所の人や昼休みのサラリーマンが集う、おっちゃんが一人で切り盛りしているようなお店には特別愛を感じる

 

 

おそらくそれがちょっと不味めでも

 

なぜだか感動してしまっていた

 

 

人がなにかを料理して食べる生き物で良かった

 

それが家の妻でも店のおっちゃんでもシェフでも、作ってくれる人がいるということはとても幸せなことだと

 

作ってくれる人がいなくなって初めて知る

 

 

たとえそれがコンビニの惣菜でもそれをきちんとお皿に盛り付ける妻だったり

 

たとえばそれが肉と野菜をただ炒めて塩を振りかけただけの物でも

 

 

 

叱られた後にあるバンゴハンの不思議

 

 

BUMP OF CHICKENのこの歌詞が好きだ。

 

 

 

 

10000時間の法則と運動会の小学生

 

おれがあの日ピアノを弾くと

 

みんなが喜んだ

 

 

おれがあの日パスタを振る舞うと

 

彼は感動した

 

 

おれがあの日アコーディオンを弾くと

 

友人は涙した

 

 

おれがあの日写真を撮ってやると

 

彼女は美しい自分を知った

 

 

 

おれに出会った人たちが

 

おれに出会った良い大人たちが

 

 

あなたに刺激された

 

あなたの生き方に刺激を受けた

 

 

そう言った

 

 

それでもおれが人を感動させた経験は未だ未だ少なすぎる。足りちゃいない。

 

 

 

「まだまだ何でも出来るね」

 

と言われる21歳というレッテルの貼られた僕の裸体は、小学生の頃から色々なことに対して「もう遅い」という感覚を抱いていた。

 

フィギアスケーターになるにはもう手遅れだし、何でもてっぺんを目指したい僕には、4歳からバスケをやっているバスケ少女にはいくら才能があろうと10歳から追いつくのは物理的に叶わないことを悟っていた。

 

かといってどっかの誰かが唱えた「一万時間の法則」を他所に、本物の天才はどんな努力家の努力も醜くなるほど才能がずば抜けていて誰にも真似できないパフォーマンスをするだろう。

 

「一万時間の法則」とは“どんな凡人も10000時間それに時間を割けばその道のプロになれる”。だとか、そんな謳い文句だった。それに対して賛成や否定の意見が分かれているが、僕の考えでは圧倒的な努力でも“補えない部分”を天才は持っているのだと思う。

 

それはスポーツで言えば並外れた身体能力だったり、音楽でいえば“間”を歌える感じ方だったり、「これが大好きなんだ」という誰にも負けぬ想いだったり。

 

“嫌々10000時間それを努力した者”と、“好きで好きで気付いたら10000時間やり続けてしまった者”の結果が違うのは誰しも分かるだろう。

 

 

 

学校では「人を感動させる」ことを学ぶ場面が用意されている。

 

学習発表会や、運動会、合唱コンクール、学校祭。それはつまり「やらなくても良いこと」だ。

 

 

僕は2年ほど前、小学校の運動会を見てとても感動してしまった。

 

カゴに玉を沢山入れたって、大玉をみんなで早く転がしたって、かけっこで1番早く走れたって、白組が勝ったって何の意味もない。

 

この「何の意味もない」ことに一生懸命取り組むことで何を得られるか、何を与えられるか、それを学ぶのがこれら行事の意味だと僕は思う。

 

あの子供達の姿を、「こいつらバカだな」と思わず誰もが応援したくなるのは、子供達が汗垂れ流しながら必死に頑張っているからだろう。

 

ただ、単純に“楽しいから”という理由でそれに一生懸命になれていた行事も、中学生になり「合唱コンクール」が出てくるあたりでやる気のない者が増えてくる。それをやることによるメリット、それをやる意味を考えられるようになったからだ。

 

それでも「ちゃんと歌って!」というクラスに2,3人はいるウザイ系女子の言いなりになって、当日にはクラスが一つになった時。何にも変えられない異常な感動と、また愛情のような物がみんなの間に流れ出すのだ。

 

この時感じるのは、「やらなくても良いこと」を一生懸命やった者にしか得られない達成感、感動、仲間との絆だ。そして、そんな自分達を見て感動してくれる大人達。

 

「一生懸命には一生懸命で応える」が格言だった先生はいつも真っ先に一生懸命になっていたが、そんな先生を見て一生懸命にならざるを得ない僕ら(生徒達)は、マトモな人間なのだろう。今思えば当たり前すぎる格言の浅さと深さだ。

 

 

それだけの為に、それだけの事をする

 

そんなカッコイイ人間になりたい。

 

 

 

 

そしてもう一つ、人生においての大事な教訓がある。

 

 

よく、「合唱コンのやる気のない生徒達をどう歌わせるか問題」で女子はひたすら恐妻のように“なんでやってくれないの!!歌ってよ!”と喚いているがその必要は無い。

 

全員がやる気がないなら全員でボイコットでもすれば良いが、大抵「歌わない子」は数人だ。そうなれば解決策はとても安易で、

 

「歌ってる子達がめっちゃくちゃ楽しそうに練習をしている」

 

という“風景”を作るだけで良いのだ。

 

“歌わなければいけない理由”を並べた所でそれはこちらの勝手でしかないし、向こうにとっては何のメリットもない。

 

向こうは「歌いたくない」のだから、「楽しそう」と思わせるのが鍵である。もっといえば「あの輪に入らないとおれが一人になる!」くらい思わせられたらもう勝ちだ。

 

 

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あの頃、「上手い、上手い」とピアノが評価されることを憎んだ俺は、高校生くらいならそれでライブの誘いを快く受けていたが、「うるせぇ上手さを見せつける様なライブはご免なんだ」とライブをしたことも無い口が言った。

 

それと矛盾するように、「それでも簡単な曲を弾いて下手に思われたくない」と思う自分が同居していた。

 

今思えば若い頃なんて、上手さを見せつけるライブの1回や2回してしまえば良かったと思うけれど、感情の沸点まで感情が達してなかったんだろう。

 

表現したいもの、というより表現しないともう死んでしまう、風に感情が爆発寸前までいって初めてホンモノの声を届けられるアーティストになる。

 

情緒が安定しているアーティストよりも、上手く表現出来なくなれば死んでしまう様な弱さと本気さと孤独さを抱えたアーティストが僕は好きだ。その不安定さの中に生まれる果てしない反骨心、いや一人前の身体には大きすぎた愛から生まれる淋しさのようなそれは、どこの誰が努力しても得られない水玉でもストライプでものい、誰も見たことも無い模様だ。

 

 

 

 

「人を動かす」

 

には何が必要だろうか。

 

 

常に相手の立場によるメリットを考えなくてはいけない。

 

 

「応援したくなる人」

 

とは、それが嫌いで頑張っている者より、それが好きで好きで堪らない人だ。

 

 

「人を感動させる」

 

のは、今の僕にとっての僕への答えは(芸術面で)、感情を爆発させることだ。どんな努力も、それを表現したい気持ちの“爆発”に及ぶ力は産めないだろう。

 

路上で演奏するのに必要なのは自信ではなく練習でもなく、“もうこうせざるを得ない”という命の在り方だ。上手く弾けるかなんて気にしてるうちは表現者じゃない。

 

火山の噴火は誰にも止められない。

 

オナニー

いやはや馬鹿ばっかりだ

なにぶん馬鹿ばっかりだ

どうにも馬鹿ばっかりだ

はなはだ馬鹿ばっかりだ

おおよそ馬鹿ばっかりだ

えてして馬鹿ばっかりだ

 

「結婚は人生の墓場だ」って アインシュタインの真似してアッカンベー

最近結婚した渡辺くんが 自慰していた方がマシだとぼやく

不倫がやめられないまなみちゃんは 「禁断の方がときめくよね」って言う

アダムとイヴが食べた果実なんか 今じゃ1300円で売っている

 

快楽の馬鹿ばっかりだ

肉欲の馬鹿ばっかりだ

愛を知らぬ馬鹿ばっかりだ

アブノーマルな馬鹿ばっかりだ

浮気をする馬鹿ばっかりだ

愛を探す馬鹿ばっかりだ

 

酒飲みながら柿崎くんが言う 「ぜんぶ全部時代のせいなんだ」って

自己弁護が上手な後輩に 論破されて何も言えないらしい

体罰パワハラだと大人が騒ぎたてて それ真似して学校で騒ぐチルドレン

また心と心がバラバラだ ああいとも簡単にバラバラだ

 

声をあげりゃ誰かが批判してくる

それ怖がって縮こまってた僕

心と心を繋ぎ止めたいから 黙るよりは叫んでいく方を選ぶ

 

「運命はして我らを孤立せしむる」と 代助さんはそう解釈していた

自分慰めるのはもうやめだ

自分慰めるのはお預けだ

 

寂しがる馬鹿ばっかりだ

涙流す馬鹿ばっかりだ

閉じこもる馬鹿ばっかりだ

疑い合う馬鹿ばっかりだ

傷つけ合う馬鹿ばっかりだ

遠ざけ合う馬鹿ばっかりだ

 

わからないことがまだ沢山ある

賛成も反対も言えない僕

学ぶことを続けなくっちゃ駄目だ 目を凝らして歌ってこうと思う

 

あなたの声を聞かせてくれませんか 「高橋、お前オナニーって・・・そういうの間違ってると思うよ? この曲よりだったら俺の方がまだ正しい意見あるわ」 心と心をぶつけていこうぜ

もっと もっと

 

そうしなきゃ馬鹿ばっかりだ

顔を出さぬ馬鹿ばっかりだ

名を偽る馬鹿ばっかりだ

知ったかぶる馬鹿ばっかりだ

知らんぷりの馬鹿ばっかりだ

死んだふりの馬鹿ばっかりだ

寂しがる馬鹿ばっかりだ 涙

流す馬鹿ばっかりだ

閉じこもる馬鹿ばっかりだ

疑いあう馬鹿ばっかりだ

傷つけあう馬鹿ばっかりだ

 

愛すべき馬鹿ばっかりだ

 

 

高橋優「オナニー」(弾き語り/「高橋優STREAMリターンズ」より) - YouTube