BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

ドタキャンがくれたプレゼント

8月25日。いつもとは違う友達が「色んな場所見せてあげる!」ということで、とても楽しみにしていた日。

 

その“友達”とは、公園でアコーディオンを練習していた際に話しかけてくれたランニング中のお兄ちゃんで、それ以来一度も会っていない。が、数ある出会いの中、面倒くさがり屋の自分に心から“また会いたい”と思わせたなかなか手強いお兄ちゃん。

 

そんな兄ちゃんとは連絡もチャットみたいにポンポン飛び交わす訳でもなく、従来のメールのようなゆったりとしたやり取りをちょくちょくしていた。それが面倒くさがり屋の自分には丁度良かった。

 

マイペースの自分と、マイペースの彼が都合良く時間を共有することになった奇跡的な今日、勿論、お昼を過ぎても待ち合わせ場所も何も決まっていない。案の定、仮に予定していた時間から1時間ほど過ぎた頃、「オー、ソーリー、電波が途切れたよ!」なんて連絡を頂く。

 

そして彼の送ってきた住所に約20分かけて到着するが、全く連絡がつかなくなり、少し待ってみるも直ぐに明らめた。また電波を失ったのか、将又、道端に咲いている花に一目惚れでもしているのだろう。

 

それくらいが、好きだ。


そして始まる一人観光。

 

数回足を運んだことのある観光名所だが、奥まで散策するのは初めてだった。彼を待っている間は英語の勉強をし、既に彼のお陰で色んなことが出来ている。普通の人なら彼に何十件と連絡をして、怒りで爆発してるんだろうなぁ。

 

目が慣れていたはずのそこは、少し奥へ踏み入れるだけで全く別世界が広がっていた。そして、ドイツではまだ見ていなかった狭い小路(大好物)を発見してしまった自分は、オワリだ。情緒を保っていた両脚が狂い出す。宛もなく、ただワクワクする方へと走り出すのだ。まさに小学校の帰り道。

 

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(心拍数MAX)

もう、ハウルの動く城魔女の宅急便、どれでもいいが逸早く「人生のメリーゴーランド」を耳に流し込む。

小路を抜けて、更に小路、また更に…と、余りにも酷い吸引力なので「ジブリの世界に飛び込んで帰れなくなるのではないか」と本気で心配になる、20歳手前(ピュアすぎて可愛い)。

 


だがそれは半分、本当だった。

 

心臓も足も正常ではなかった為に、どんなルートを辿ったのかもさっぱり覚えてないが、小路の誘惑にただただ負け続けた末、洞窟のような道を経て、辿り着いた先。それは。

 

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思わず口から出たのは“oh my gosh”。だが景色の美しさよりも、こんなにも坂を登っていた自分に驚いた。楽しい時間とは恐ろしい。

 

勿論、始まるのは黄昏タイム。すると僕の耳が今度は、日本の音楽でもない、アコーディオンでもない、「ケルト音楽」(バグパイプ)を求めてきたので、放り込んでやることに。

 

耳が満足して帰ろうと思うと、イヤホンを抜いたはずの耳。それなのに同じ音色が鳴り続けている。だがどこか、遠い。音が近くなる方へ足を走らすこと数分。

 

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いました。バグパイプ
今聴いていた、バグパイプ

え、今、聴いていた、バグパイプ?!!

 

子供のようにヤケに感動して、堂々と真ん前にスライディング体育座り。おっちゃんはそんな感動も知っちゃくれず、休符なく息を注ぎ込む。どれくらいいただろうか。洞窟の中、裸足になってバグパイプの音に全てを投げた。

 

ここは人気の観光名所よりはマイナー。人数も特別多くはない。序に、どのくらいの人がチップを置いていくのかを観察することに。

 

観察すること数十分。やはり人数はしれているがしかし、確実にゼロではない。そして人通りの多い眩しい駅での演奏より、遥かに自分にはピッタリの空間だ。それに何より、ここまで警察が来ることはないだろう。

 

ポイントはもう一つ。小道を抜ければ抜けるほど、如何にも高価なレストランや如何にもお金持ちの老夫婦が増えていき、流れている空気そのものが落ち着いていたのだ。

 

「ここに決めた」。

 

残念ながらチップを渡せるお金はないので、ここでアコーディオンを弾いて、そこで貰ったチップをおっちゃんに渡すから待っててな!とひっそり告げてその場を去る。

 

帰り道、同じように駅がどこかなんては放っておいて、ワクワクする方へとただ歩いて行く。すると今度はどこからか、今にも消えてしまいそうな音色を耳が察知した。

 

アコーディオンだ。

 

またもや音の鳴るほうへ足を走らすと、発見。レストランのテラス席。可愛げのあるおじちゃんが優しい顔、優しい手つき、優しい音色でその場を包んでいる。全てが、優しい。

 

そこで食事をする訳でもないのに、気持ち悪いほどアコーディオンに釘付けのジャパニーズ。嘸かし変態だっただろうが、おじちゃんも、店員さんも、お客さんも、優しい目で笑ってくれた。

 

今までドイツで見てきたアコーディオ二ストのなかで、このおじちゃんの演奏が1番好きだった。あくまでも「BGM」なので音量はかなり控えめだが、上記にも書いた様、全てが優しく、お金があればコーラでも買って永遠に聴いていた。次また会えれば話しかけよう。

 


今日1日、“彼がここに自分を来させたのには”、“彼がここに来なかったのには”、「きっと理由がある」と思ってワクワクしていた。きっと思いがけない出会いや出来事がある、と信じていた。

その為、こんなに素晴らしい出会いがあっても感動はするものの「彼が会わせたかったのはこの人か!」「彼が見せたかったはこの景色か!」と一人で納得するのだった。

彼がくれたのは、近くにあるのに知らずにいた「最高な景色」と、日本にいる頃から心が惹かれていた「バグパイプ」、そして「アコーディオン」との出会い。それから最高な演奏場所。

 

 

「ドタキャン」からはじまったこの物語。

 

それでも尚、彼が好きなのは、何でもかんでも「オー。ソーリー!」のテンションで収めてくるクソさなのだ。ここでクソ真面目に謝ってくれるような人と、自分はあまり付き合えない。普通は逆だろうが、こんなことで笑い合えない友達は自分には向いてない。

 

そりゃ、約束や時間を守ることが大事なことや、相手の時間を奪うことがいけないことくらいは知っている。が、「友達」に関しては時間の“感じ方”を共有できる人間、又、起こりゆる出来事の捉え方がプラスな人間といたい。なんていうか、「ばか」と居たい。

日本にいる母に電話すれば、「ゆめはそれくらい自由な人じゃないと無理だよね」と言うので、なんて私の母は私を知っているのだろうかと感動した。

 

生まれつきこうだった訳ではなく、こんな自分にも「ドタキャン」に怒っていた可愛い時期もあったのだが、色んな経緯を経てこんな生き方になってしまった。その辺は徐々に砕いて書いていこうと思う。

 

ドタキャンに限らず、起こってしまったハプニングはどうしょうもない。出来事はただ起こっているだけだ。つまり、本当は“良い出来事”も“悪い出来事”も存在せず、自分が勝手に価値付けをしているだけなのだ。

 

かといって、数日前に失くした財布も、失くした瞬間に「財布だけで良かった!私ってラッキー!」と思うのはちょっと気持ち悪い。人間らしく、チクショー!と一度は悲しみや怒りに浸かってもいいのだと思う。思いきり。大事なのはその後だ。

 

どうせ何をしても変わらない、“起こってしまったこと”なら、笑ってしまった方がイイ。

 

待ち合わせでイライラしてしまう女性には1番なりたくないものだ。

 

そんなこんなで、明日は、バグパイプのおっちゃんの領地を奪ってアコーディオンの音色カマしてきます。

 

 

(以上、更新が一日遅れたので昨日の話)

 

翌日、宣言通りバグパイプおっちゃんの跡地でアコーディオンを弾くのですが、見事にまたミラクル起こします。