BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

【導く天使】僕と彼女と車椅子

 

ぼくは二週間ほど風邪をひいた。そんな時は100パーセントの確率で頑張りすぎや我慢が原因だ。そんな自分の体などすっかり熟知してきたはずなのに、まだこうして体にサインを出してもらわなければ体の声を聞いてあげられない自分にがっかりする。けれども、やはり僕の体は優秀。よく出来ているな、と思った。

 

いつもは頭を使いすぎた上の頭痛や、言いたいことを言えないことからの喉の痛み。病院へは行かずにひたすら死んだように眠る。でも今回は下痢や動けないくらいの倦怠感、めまい、目の充血、色んな症状がごっさりと来たので変な病気かと思い診てもらった。

 

結果ただの風邪だったけれど、いつもと違う症状に不安な僕は薬という物体を信じ込むように飲んだ。フルーツやスポーツドリンクは自然に体が欲しがるし、熱や咳や痰は身体が菌やウイルスと闘う上で必要だからそうなっているのに、その必要な体の機能を人工的に止めてしまうのは体に申し訳ない。

 

休息を求めて風邪をひかせてくれた体に、またもやその声を無視して薬で押さえつけようとする行為は辛いものだ。それでも何らかの薬を飲む時は、その薬を信じ込める時だ。辛すぎる場合は、「これを飲んだら早く治るんだ」と思いたいものだ。

 

 

 

 

 

ぼくはベッドに眠った。

 

一時間で起きると、ぼくのベッドルームに女神様みたいな天使がいた。優しく素敵な40代くらいの女性の声で、

 

「やっと気付いたのですね。大変だったでしょう。次のステージはもっと楽しいですよ。」

 

明晰夢の様に妙にリアルで、微笑んだ声がした。

 

 

というのも眠りにつく前、長い長い瞑想をしたのだ。今の僕という人間の性格や物事への考え、感情、それらを形成してきた幼少期からの辛かったこと、本当はこうしてほしかったこと、の寂しさを弱った身体と共に再び抱いたのだ。

 

すると僕にとっては強烈な気付きがあり、「だから僕はこの道を辿ったのか!」(○○ということを気づく為にこうなっているのか!)と頭上にヒラメキ電球を浮かばせながらすやすやと寝たのだった。

 

 

多くの大人には「インナーチャイルド」という成長しきれてない、または子供のままの自分(性格)がその人の中に残っていると僕は思うが、自分にそれがあると分かりつつも向き合うのは恐いし、面倒くさいし時間がかかるしで無視してきた。

 

けれど風邪になり弱ったことで自然と向き合わざるを得なくなった。…と、表現したらいいのか分からないが自分の意思と関係なく自然に行われた。

 

 

そして天使が出てきてから今日まで、可笑しなほどに仕組まれているようなことが次々起こる。全てが繋がったのは今日だけれど、時系列で書く。

 

・とあるショーを観に言ったら、宝塚の様な格好いいダンサーさんがいるのを差し置いて、「あなた美しすぎる!!ショーの女性も色んな世界の女も見てきたけれど、あなたが最も美しいわ!!分かってんの??」と、外人女性が狂ったように異常な興奮をしてショーの最中に立ち上がって横にきたこと。

 

・街中のナンパが下心満載なのがなくなり、「……っ!え!めっちゃ美人じゃん!!」という驚いた物に変わり、飲みの誘いではなく「話せただけで幸せだわ!」的なレベルに達してきたこと

 

・自分で確信レベルで感じる「もう俺の行きたい世界に行っていいんだ」「てかもうはよ行けって言われてる」感、等

 

 

 

そして、今日。

 

休日の過ごし方として色んなパターンがあった中、ふと古本屋に立ち寄った。

 

本棚は高く、僕でも一番上は台に登らないと取れなかった。いつも通りかるく数冊漁っていると、視界の左端に車椅子の女性が映った。僕のいる通路を通りたいのかもしれないと思い、又、「上の本読みたかったら取れねぇよなぁ」と思い、声をかけるタイミングを読んでいた。けれど、女性の目の動きや手に取る本の位置を見ていても、どうやら上の本には目をやらないので黙っていた。

 

すると気づいた時には、その女性から声をかけられていた。

 

「海外に行きたいの?」

 

僕は‘世界の美しいお城 ’を手に持っていた。会話の始まりは外国人とのコミュニケーションの始まり同様に自然だった。なんだか僕には彼女が神様に見えた。

 

 

そこから数十分話した。

 

「私結構見えるのよ。あなたのオーラが凄い。最初から気になってたの。あなたなら話が通じるかなと思って、ちょっと試したの。」

 

僕「ずっと声かけようとしてたんだよ(先にやられたー!けどそういうことかー!)」

 

彼女は「そんな気を使ってくれる人は何百人に一人よ、あなたみたいな人もいるのねぇ」と言い、続けて僕の力強い眉毛や目の力、目の動き、人生経験から成る顔の造りを褒めるに褒めてきた。

 

僕の性格や今まで苦労したこと、したい生き方等お見通しで、ショーで会った外人の様に、「こんなとこにいる場合じゃないのあなたは!早く自分を信じて動きなさい!」と言わんばかりな本気な目だった。

 

もう沢山沢山、本屋で話すことではないことまで話していたけれど、僕の感覚ではまるであの時、僕と彼女と車椅子は他の人に見えていなかったような、そんな気すらする。

 

面白かったのは、「え、このタイミングでバイバイなの?」という話している最中に彼女が車椅子でバックを何度もしたことだ。聞けば、「パワーが凄すぎるのよ」という理由だった(笑)

 

今日もすっぴんにマスクだったけれど、どうやら最近気付いたがオーラとはばっちりメイクやファッションを決めたときでなくとも出るらしい。彼女は「歩き方や立ち方」と言っていた。

 

少し前もタクシー運転手が僕を見て感動をして、「タレントさん?オーラが…」なんてことや、スーパーやどこででも知らない人にタレントかダンサーと言われる。

 

こんなにどこででも老若男女問わず話しかけられたり、出会ったり、友達になったり、名前や顔を覚えてもらう才能は僕は格別だ。

 

僕はもう今、本当に自分を信じていいし、何度も自分のパワーを知っていたくせに確信や覚悟がなかったけれど、信じられるのがやっと今、なのだ。

 

随分長くなってしまったとも少し思うが、全ての出来事がこれからの未来に役に立つ。仮に一年早く映画に出れば、その一年分味わった苦悩や涙の重さ分は演技が軽くなるが、一年若いからこそ出来る容姿や演技は見逃したことになる。

 

ドラマや映画を見て、「うわ、絶対これ俺の方が良かったやん」と思う人なんて沢山いるけれど、焦らなくて良いのだと自分に言い聞かせる。

 

そして映画やメディアに出ることには拘らず、僕の最終的な目標や使命に目を向けるようにする。

 

車椅子の彼女が、最後の方に、

「自分をよく知るのよ。」

 

と言った。

 

僕は

「安全運転でね。」

 

と言い電話番号を交換し、ハグをした。

 

 

別れてから、思えば彼女の目線からは一番上の棚の本なんてそもそも見にくいよな、と思った。

 

僕は周りに大勢の天使が僕を守ってくれてるような感覚に浸かり、もっと気持ちを高めようと僕を覚えてくれているインド人のカレー屋さんに行った。

 

インド人の彼も、車椅子の彼女も、僕の笑顔を褒めてくれた。僕は失う自信すらないが、この笑顔がいくら子供っぽくたって自らほっぺを殺すようなことはしない。真顔がこれからいくら美人になろうとも、笑顔は永遠に5歳児みたいな愛に溢れたニッコリでいたい。

 

ほっぺをもふもふさせながら、ニコニコして家へ帰った。

 

 

本当にどこででも出会いがありまくって、スウェットでもすっぴんでもセカンドストリートでもごみ捨てでも気が抜けない。

 

 

今年はもっとピアノとアコーディオンと自分を愛しまくった変態になります。