BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

そしあ

 

端から端まで飛んだ

 

人間に創られたものではない真緑が生き生きと在り、急ぎ行く人が居なくなり、そこに止まった列車もホームも静かに固まっているだけだった。

 

自動車学校は二時間の予定だったが、一時間のみ頑張った後に残った僕の身体は見事な抜け殻となった。暫くの間、黒インクを躍らせたA4の紙達を僕の横に置きながら、窓の向こうにいる世界を見下ろしていた。

 

気付けば、数時間後だった技能予約は20分後に迫っていたが、僕はまるで今列車に轢かれて死ぬことを思いついた少年のようにパッと席を立った。

 

「キャンセルで」

 

いつもの受付のお姉さんにはいつもの俺でしかない、自分からすれば不気味でしかない笑みを光らせ去った。

 

 

そして列車に飛び込んだ。

端まで行った。

 

誰かに完全に身体を操作された様に、それが初めから用意されていた未来のシナリオの様に勝手に動いた。

 

 

 

列車を降りると、空気も景色もガラリと変わり、数百円で遠い国に来たようだった。別の世界の人間に見えた。

 

そしてタクシーに乗り、聞き慣れない「そしあ」という単語を恐る恐る発するが、「はい、そしあですね」と事務的な運転手は聞き慣れた対応だった。

 

辿り着いたそこは、ただのスーパー。なのに吹き抜けにはぽつんとドカンと、平然とした顔つきでグランドピアノが待っていた。「水族館にライオン」くらい本来合わさらないはずの二つのものが何食わぬ顔で存在しているのだから面白い。

 

“今から弾きますよ”アピールも皆無にして、クラシカルなピアノにピチピチタイツのスポーティー少女がピアノの椅子へすっと座る。カオスな光景にカオスがプラスされて何でもアリだ。

 

周りにはキレイなほどに買い物に来ているじいちゃんばあちゃんしか居なかったが、それを感じられるのは塞げない嗅覚からの加齢臭くらいで、視界には指を下ろした白と黒の長方形だけを映した。

 

 

一人30分までにして下さい

 

の注意書のみ気にしつつ気にせず、僕は今にもナイフを持ってしまいそうだった震えた手を、心の奥からの喚き声を、音に変えた。

 

ここ最近震える手は、煙草を持つくらいでしか対処をしていなかったが、対処がつかなくなってしまっていた。手はこれを待っていたのだ。

 

 

僕の中のピアノとは不思議なもので、怒りだけを表現することは出来ない。怒りを音にすれば必ずそこに切なさや哀しさが共存している。仮に怒りだけをキレイに削ぎとって音に出来たとしても、怒りだけで一曲が終わることはないのだ。

 

というよりも、どんな感情からピアノに向かおうと俺の指は悲しい曲を弾き始める。これは僕だけじゃない。誰しもの感情が、そう出来ているのだと僕は思う。怒りの底にあるものは、誰だってこういった弱々しい音に違いない。

 

 

弾き終えたら、四、五人のおじさんと一人のおばさんが声をかけてくれた。

 

みんなじいちゃんばあちゃんだから、どの人がさっき声をかけてくれた人か、どの人がどのおじいちゃんかあまり良く分かっていない。

 

けれど唯一確かな“おばさん”はアメリカでピアノの先生をやっている孫の話をし、

 

「あなたも絶対、ぜっったい世界で活躍出来るわよ、あなたならいける!」

 

と、なぜおばさんの台詞とはいつもこんなに謎な自信と謎な説得力があるのだろう、と思いながらも久々の他人からの心からの称賛を素直に喜んだ。

 

はて、声をかけずとも聴いてくれた人が何十人で、その内声をかけてくれた人が数人で、更に心からの感動をしてくれた人は…と考えていたら、中学時代に俺のイラストを馬鹿みたいに褒めちぎってきたあの先生が思い浮かぶ。

 

俺の絵を見ても、ピアノを見ても、写真を見ても、心から感動してくれる人の数といえば、本当にひと握りなのだ。でもいつだってそのひと握りの人間のイキすぎた賞賛や感動、感謝が僕を動かす。子供を形成する。

 

そう思うと、親や学校の先生は簡単に子供の夢や才能、未来を踏み殺すこともその逆も出来てしまうのである。 

 

せめて僕だけは僕のピアノやイラストのファンでいよう。

 

ひと握り、を世界中で何度も掴んでいけば、なん握りかは出来るくらい僕の周りに人がいるだろう。

 

 

元の街に戻ってきた。

 

人々は急いでいる。

 

固まっているように見えたあの列車や時の止まったホームの静けさが、本来ある時間の姿なのだろう。