BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

大腸癌のタクシー運転手

 

今日のおれの身体はとても公共機関を使う気にはなれない繊細な身体をしていた。人混みは御免だ。朝も夜もタクシーを使った。

 

おれのタクシーの使い方は他の人とは違う。おれがタクシーを使う目的は、急いでいる時は別として、一瞬でもおれの命を預かると同時に初対面のおれを目的地まで運んでくれる“運転手”との会話や出会いにとても価値を持たせたものである。なので乗るタクシーも直感で惹かれた車や、それがなければ運転手の顔を覗いて良さそうな人を選ぶ。似合わないピンクのタクシーにもたまに乗るのは、こういった理由によるものだ。

 

今日の帰りは見事に二台のタクシーに無視をされた。ひょっとして透明人間になったのか心配になっていると、三台目のタクシーの運転手が「ぜんぶ無視されてるじゃん!」と言うようにニコッと笑い、車を停めてくれた。

 

彼はおれを無視した二台のタクシーに激怒していた。おれは全く気にしていないのに、「腹立たない?通報していんだぞああいうのは。」と初めの三分くらいそればかりだった。

 

家にもう少しで着くという頃。

 

「美人には弱いんですよ」と彼は言うから、「じゃあ今弱ってますね」と言った。すると彼は、

 

「ぃやあ本当にさ。もう今70歳なんだ。身体にガンがあってね、最近それが大腸にも転移して…」なんて言い出すから、何を言っているんだコイツは、ともちろんおれは吃驚しながらも「今治ったんじゃない?それか、美人ばっかり乗せてたら直ぐ治るよ。」と言った。おれが言えるユーモアはこれくらいだった。本当は目の前におれの命を運んでいるタクシーのおっちゃんが、一緒にガンまで運んでいると思うとやるせない気持ちで仕方なかった。

 

家に着いた。

 

本当はこれでもかというほど優しい言葉を振りかけてあげたいのに、またもやおれの口から産まれる言葉は「もうすぐ死んじゃうから、またもっかい乗んないとね。」あどけない笑顔でこわいことを言うのだった。

 

少女は反省したのか、付け加えて、「無理しないでよ!」とドアが閉められる前に大きい声を張り上げた。そしてしっかりと顔を見て、もうこちらを見ていない彼に手を振った。タクシーを単なる移動手段と考えれば数千円なんて勿体ないと思うが、命が短いであろう彼にたかが数千円渡すなんて、喜ばしい気持ちとこれじゃ足りないという複雑な気持ちが発生した。諭吉に想いを託して、「これで良い飯でも食べて。」と言いたかった。

 

 

目的地に着くまでの距離で話せる話題など、限られている。それでも何故おれがタクシー運転手と会話をするかは、お互い人間であるからだ。五分で到着する位置だろうと、その人がいなければ歩かなくては行けなかったかもしれないし、その人が事故を起こせばおれの命も危ないし一緒に死ぬかもしれないし、その人も今日仕事をしてきて疲れている一人の人間なのだ。

 

美容師やレストランの接客業と同じで、スナックやガールズバーと違うのは「会話」は決してメインでも無ければ、事務的な会話以外は全くなくても何の問題もないのがタクシー運転手だ。

 

でもおれは、髪を切ってもらったり、食事を提供してもらったり、体を運んでもらったり、何かかしらでお世話になっている人間に対して全く会話もせずに“それはその人の仕事だからそいつはそれをして当たり前”、“してもらって当たり前”と思うことは出来ない。

 

中にはタクシー運転手こそ、“俺の仕事は人を運ぶだけだ”と思っている人も勿論沢山いる。けれど不思議なことにそういう人はあまり巡り合わず、それよりも不思議なことに一度乗ったタクシー運転手とまた乗り合わせることが多い。そして一度しか乗っていないのにお互い覚えている。

 

友人に話すと驚かれるが、仲のいい連絡先の知っているタクシー運転手だっている。運転手こそ、お客様を待たせるのは良くないからお客様と連絡先を交換することはあまり無いのだけれど、おれは人間味のないロボットにおれの体を運んでもらう気はない。

 

運転手にだって、色んな人がいる。「僕も昔サラリーマンだったので、出勤前のサラリーマン達が気持ちよく出勤できるように会話をしたり、逆に人を見て静かにしたりします」と言ったある日の運転手さんや、「女優になるのが夢なんだ」と言った自分に「それならこういう人と繋がらなくちゃダメだよ。」とあるギタリストのチラシをくれる人もいた。

 

人が好きで運転手をしている人、運転が好きで運転手をしている人、どちらも好きではない人、様々だ。どんな職業だろうと同じことが言えるだろう。マクドナルドの店員に「マック大好きなんですね」とは言わないのに、風俗嬢には「セックスお好きなんですね」と言う乏しい発想はサヨウナラだ。

 

“もてなす人”が客に対してサービスをするのは当たり前だけれど、おれは変態なことに“もてなされる側”であっても相手に気持ちよくなってほしいといつも思っている。

 

今日も「美人さん」と言って運転手のおっちゃんは喜んでいたけれど、美人というだけで何もせずとも周りの人を幸せな気持ちに出来るなんて、最強の人間だと思う。でも意図も簡単に人を、特に接客業をしている人を幸せにするのは、褒めることだ。みな辛いことがあっても笑顔でがんばっている。

 

 

相手がロボットの運転手ならぼくはずっと携帯と睨めっこしているけれど、今日の彼のように運転手さんだってみんな何かしらのストーリーのある人生や一日を過ごしている。

 

もしも疲れ切っている運転手さんの一日の最後のお客さんがぼくで、ぼくが会話をすることによって少しでも癒しを与えられたり、少しでも「今日頑張って良かった」なんて思ってくれたら、なんて思いながらまたタクシーに乗る。

 

 

こんなことを何処ででもしているから、街をまっすぐ歩くだけでスマホ修理屋さん、モスバーガー、マッサージ屋さん、お花屋さん、下着屋さん、服屋さん、革屋さん。いっぱいぼくを愛してくれる人が散らばっている。

 

みんな、人間なのだ。