春
いつも通り、深夜のリビングには疲れ切った父さんが眠っている。
そこに「上で寝なさいよ」と注意をする母さんはもういない。
ありあまった食糧も、おれの朝ごはんのアイスもなく、冷凍庫はしんとしている。
すぐに片付けたがる母さんがいないから、コンビニで買ってきた食べ物のゴミは、おれが食べ終わるまで虚しくテーブルに転がっている。まるで寂しさを一緒に味わってくれるかのように。
金色のネイルが、素朴なそぼろご飯と物のない素朴なこの家から浮いている。
黄色と青を纏ったお家は、今じゃなにも派手じゃない。
天窓から見上げる星や月はいつもぼくの味方だった。
眠れない夜にそこから青に移り変わりオレンジが顔を出す空は忘れられない大好きな風景だ。
そこから数十分ベッドに浸かり家族が動き出す頃、すぐさまピアノへと向かうぼくの手と足はサンタさんを待ち侘びた子供だった。
そんな朝が好きだった。
時計ではなく、そこに一緒にいる誰かの行動習慣や空気がぼくたちの時間の感覚を作る。
みなが寝静まってしまった深夜0時は「ねないとやべぇ!」と思うのに、ネオン街に行けば街は始まったばかりだ。
いつも通りの家族の動きがあって、ぼくはいつも曜日や時間を認識するのだった。おはようと聞こえる前にテレビの音が聞こえ、「ご飯よ」の声を聞いて時を知る。
今、そうではなくなってしまった景色を見ると、奇妙なほどにふと、寂しさが心を刺す。この世で1番鋭く研がれたナイフが心の1番柔らかい部分を襲うように。
何の迷いもなく、おそうのだ。
ぼくの中で生まれるさみしさの生みの親は、いつも家族だ。
愛する人といても、そこで生まれるさみしさの元は家族なのだ。
そうなれば、誰に抱かれても埋まらないだろう。
知っているのだ。
桜のようになろう。
春。