100人の村
村の人口が100人だと決まっていてもう減ることも増えることもないとするならば、そして99人のことをよく知っているのならば。
少なくとも5.6人は好きになれる異性がいるだろうか。それともたった1人だけ誰にも譲れないほど恋に落ちる異性がいるだろうか。はたまた恋とは違う1人のパートナーとして一緒にいたい異性が存在するだろうか。
そして村の男の人の中で、自分を好きな人は何人いるだろうか。何人かに好かれることで、自分を憎むメスが何人現れるのか。
そして自分が好きになった5.6人みんなを愛することで、自分を嫌いになる人はどれくらいいるだろうか。
自分がこの人!と1人に愛の的を絞ることで、自分を愛してくれているはずだった誰かの顔を下に向けることもあるだろう。
自分があなたしかいないのよ!と1人に愛を告げることで、喜ぶ者は容赦なく喜びを得、それにより愛せたであろう数人の村人を愛から弾いたりする。
99人のことをよく知っていたとして、それでいてこの人!と1人に絞ったところで、その思いを変えられるのはたったひとり、「時間」である。
時間と共に人が成長をしていくのだから、食って寝て食って寝るだけの生活をしていても、人は人と関わり、何もない一日が何日も何十日も何百日も募れば、人は気付けばシワや脂肪が増えているのである。人間関係の話だ。
そうなれば、人の心はそれぞれ変化する。
ある事柄を経験して思考が変わったり、ある人と会って価値観が広がったり、そうなれば昔の脳みそではキライだとかバカだと判断していた誰かを好きになってしまったり、若しくは「馬鹿がすることだ」と浮気を全否定していた者が「浮気は文化だ」と裸の自分を世に生ませる許可を出したりする。
そうして村では今日も一人を好む人、誰かと寝ないと気が済まない人、好きではないけれど同じベッドで寝ている人、本当はあの人と寝たい人、あの人と寝れているあの子が許せない人、そんな人間でぎゅうぎゅうだ。
あつくるしい。