BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

あの日、ぼくのお父さんは見たこともない顔をした。

あの日、ぼくのお父さんは見たこともない顔をした。

 


こんなにずっと一緒にいたはずなのに、見たこともない顔をした。

 


こんなにずっとひとつ屋根の下にいたはずなのに、そうでもなかった。

 

それは春の雪をキラキラと

照らし溶かす太陽のように。

 

またその輝いた雪のように。

 

極めて美しく、目に留まっていた透明の涙は太陽が照らす水溜まりのようだった。

 

あぁこんな表情も見ないまま、人は一番近くの人を知らないまま失っていくのだと思った朝だった。


あんなに美しい表情を見てしまったけれど、見れて嬉しい気持ちと同時に、死に際にその表情が思い浮かぶのだと思うと、見たくなかった気持ちもあるのだ。


それほどにかつてなく、言葉とはかけ離れた所にいる表情だった。

 

 

 

 


ぼくはパパが大好きだった。

 


いまもだいすきだ。

 


でも知らない顔がたくさんある。

 


家族は一番ちかくにいて

 


一番理解があって

 


何でも知っていると嘘をついたのは

 


だれだろう

 


だれも嘘なんてついていないのに

 


家族がそういうものだと

 


思っていたのはつい最近までだ。

 


ひょっとしたら

 


職場の人の方が

 


家族のことをもっともっと

 


知っているのかもしれない。

 


ひょっとしたら

 


浮気相手の方が知っているのかもしれない。

 


なにを切り取って

 


その人を知っているというのか

 


ぼくにはわからない。

 


その人の子供であれば

 


その人が男、や女として機能している顔や体を知らないし

 


けれども浮気相手はそれを知っていたとしても

 


父、や母としての顔は知らない。

 


その人の明も闇も理性もエロも

 


全てを知らないのにも関わらず

 


人は今日も好きだ嫌いだと

 


野菜の好き嫌いのように

 


人を区別する。

 


でも

 


別にいいのだ。

 


全て知る必要はない。

 


全て知ろうとしたって

 


知ったと思ったって

 


どんなに全方位からその人を見渡しても

 


知れるのはその人の一部でしかないのだから。

 


本人すら、一部しか知らないのだから。

 


わからないのだから。

 


だれも知らない。