BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

ぼくが雪だとするならば

 

今日しぬのなら

あんなにうざかった大雪もぜんぶ

雪粒ひとつひとつが愛おしくなるんだろう

 

革の手袋を脱いで

こどものように手の温もりで

そっと雪を溶かすんだろう

 

雪玉を作って誰かにぶつけたい心理よりも

初めて雪をさわったあの日のように

ただ触れて味わいたいと思うんだろう

 

 

雪がとけて

うざかった雪かきとのお別れを喜ぶ者

 

雪かきしかやることがなくなっていた者には

ぽっかりと時間と空白

 

 

誰もがはしゃいだはずだ

 

小さい時から雪が嫌いだった子はあまり聞かない

 

 

日本では毎年毎年雪が地に降りてくれるけれど

姿形を変えていないのにも関わらず

 

なんにもしてないのに

 

ただ降っているだけなのに

 

自分の意思と関わらず寒くて積もったり

暑くなって溶けて消えてしまったり

 

なのに

 

空から舞い降りた瞬間から

自分の誕生を飛び跳ねて喜んでくれる者と

 

重い溜息をついてカーテンを閉める者がいる

 

 

なんて可哀想なのだとおもう

 

 

ぼくが雪だとするなら

 

毎年毎年空から降りることはしたくない

 

 

みんなから好かれる程度に

何十年かに一度のレア感を抱かせるように

 

いくら空から地上から降れ、降れと言われたって

僕はたまにしか姿を見せない愛され者でいたい

 

 

だけど毎年毎年

 

僕を大喜びしてくれる人たちのために

それは雪の降らない国の人のためにも

子供のためにも大人のためにも

 

ただ僕で大喜びをしてくれる人

 

それだけのために

 

僕は来年の冬も空から舞い落ちるだろう

 

 

僕は「こう使ってね」などと一切声を発せないのに

 

僕の長所を最大限に使って遊んでくれる子供達

僕が愛される、僕の居場所のスキー場

ただ眺めて「美しいね」と言ってくれるマダム達

 

その人たちがいれば

 

僕は地上に降り立つまでに

涙を流さずしてやっと地に着ける

 

 

僕を見たくないという大人達は

決して窓のカーテンを開けることはないけれど

 

ただそこにいるだけで

 

ただそこにいるだけで

 

愛されたり

 

憎まれたり

 

まるで人間のようだ

 

人間同士のようだ

 

 

どんなに嫌いな人間も

 

その人が今日死ぬとわかったとすれば

 

 

「よっしゃあ!」と言える人間の方が少ないと思う

 

 

それくらい

 

誰かを嫌いになって悪口を言ったり

誰かをいじめるような人間もまた

 

いじらめられる人間同様に

 

いや

 

いじめられる人間よりも遥かに

心はちっぽけなのだ

 

 

みな

 

みんな

 

誰かに愛されたいの

 

 

 

ママに

 

 

パパに

 

 

 

自分自身に。