BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

 

数十年前の数週間後、ぼくのおじいちゃんは生まれた。

 

今まで沢山の人と握手をしていたけれど、その感触も冷たさも鮮明に記憶している手は、じいちゃんのだけだ。

 

今まで沢山の人の顔を触ってきたけれど、そのひんやりとした冷たさを手が思い出せるのは、じいちゃんの右頬だけだ。

 

ぼくはいつまでも愛している。

 

ぼくの手はいつまでも覚えている。

 

実家から盗んだじいちゃんの写真を財布に住ませしばらく経っていたけれど、財布を開いた今、妙に目が合ったのでテーブルに出してみた。

 

その瞬間からじわりと涙があふれでた。

 

写真の中のじいちゃんは生きていて、目はこの世の誰よりも澄んでいて美しくて、歯の見せない微笑みはこの世の誰よりもやさしかった。

 

決して言葉は発しないのに、目は「大丈夫だよ」とやさしく強くうったえている僕のじいちゃんの目を、僕の目は受け継いだのだとおもう。

 

 

教えてほしかった釣りも、一緒に乗りたかった船も、

 

「またしようね」と言ったバーベキューも、

 

「見つけたらしあわせになるよ」と双葉で作った四葉のクローバーも、

 

この先も一生果たされることのない約束の中で僕が唯一ゆるせるのは、これらじいちゃんとの約束だけだろう。

 

 

あの日、自分がまだ中学生の時に大好きな誰かを亡くしていなければ、今のぼくの中にいる「素直なぼく」はもっとちいさかった。

 

ハンバートハンバートの曲を何曲も流しながらじいちゃんの写真を永遠に眺めていたら、"それでいいんだよ”と。果たしてそれがじいちゃんの言葉なのか自分の言葉なのかは定かではないが、確かに胸の奥でそう響いた。

 

誰に対しても、どこにいても、いつも笑っていて、いつもニコニコしているのが僕だと思っている人もいれば、反対に、ワガママで自分勝手で、他人のことなど考える余地もない生意気な小僧が僕だと思っている人もいる。

 

僕はどう思われたって構わない。

 

といったら嘘だ。

 

ぼくは常にどんなときでも素直に生きたいだけなのだ。

 

 

どう生きたって、自分のことを批評する人間は様々なのだったら、

僕はせめて自分が愛せる僕でいたい。

 

どう生きたって、好き勝手に自分のことを批評するクソ人間のために、

嫌いな人にイエスと、大好きでたまらない人にノーという

愚か者の取る生き方だけはしたくない。

 

目立たないように、荒波を立てないように生きて、

誰の心も動かさないまま死んでいく人生にはしたくない。

 

どんなに懸命にこの地球で足掻いたって

小さい日本という国で有名になろうが

アメリカで大スターになろうが

この小さい地球のわずか数ミリの範囲しか動かせないのだから。

 

 

なにか嫌なことがあったら、

ひたすら「死」を想う。

 

 

じいちゃんの死、両親が死ぬ時、自分が死ぬ時。

 

それらを考えたら、ぜんぶがどうでもいい。

 

ぜんぶがくだらない。

 

 

僕はこれからあと何回できるか分からない食事も、睡眠も、

 

好きな人とのキスもセックスも、

 

いつ死んでしまうか分からない人間とのバイバイも、

 

1回1回を味わいたい。

 

 

素敵な家に住んだら、誰かが「もったいない」と言うけれど、

 

それは今を生きていない人間のセリフだ。

 

 

家にお金をかけるもかけまいも個人の自由だが、

 

すっかりお金に操られた人間達が向かう先はどこだろう?

 

 

「今」を節約している人に、具体的な未来の計画や夢がある人を

 

僕はまだみたことがない。

 

 

「価格が高い」という理由で僕はこの世を楽しむことを怠りたくない。

 

 

すっかりお金に操られた人間界なのだとしたら

 

どんな人がお金持ちで

 

どんな人がお金に愛されていて

 

どんな人がお金に嫌われているのか

 

僕はこの目で体で見尽くしたい。ダイブしたい。

 

 

 

これからは毎朝、毎晩じいちゃんに挨拶をして

 

改めて一日一日をしっかり生き切りたい。

 

 

それは一生懸命生きることではなく、

 

勿論それはそうだけれど

 

ムカつく、もさみしい、も悲しい、も

 

あの人が嫌い、もあの人が好き、も

 

 

誰かの僕への好意も、悪意も、

 

ぜんぶぜんぶ「そうだねぇ」と受け取りたい。

 

 

受け取るというより、この宇宙に手が生えたような大きな大きな偉大な存在になったつもりで、広い広い大きな愛でまるく、ふわふわと包み込みたい。

 

でもたまにはぷかぷかと煙草をふかしながら「あいつうぜぇ」という自分もいて構わないし、それを許してくれる自分と親友の中ではそんな自分も抱きしめてあげたい。

 

みんなみんな、だきしめたい。