BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

人をころすような人ではありません

「人をころすような人ではありません」

 

なんて容疑者の家族や容疑者の知り合いは言うけれど

 

人を殺しそうな人が家族や知人にいる人の方がよっぽど珍しい

 

さっきカフェで美味しそうにコーヒーを飲んでいた女の子も

 

高級イタリアンを食べていた素敵な女性も

 

その後に人を殺してしまう可能性も

 

自殺をしてしまう可能性もあるのだ

 

この世界はそんなもんだ

 

自殺をする人の心理は様々だが

 

想像をするのだ

 

私が

 

ぼくが

 

いなくなったらこの世界はどうなるだろう?と。

 

これでぼくの痛みがどれほどだったか分かってくれるだろうか?と。

 

自殺をする人が最後に求めるのは

 

痛みをわかってほしい、

存在をわかってほしいという

 

愛なのだ。

 

自分で首を絞めてでも

 

それで周りの人がわかってくれれば

 

それが首を絞める理由なのだ

 

死を成し遂げてでも

 

その目標が達成されなかった場合

 

彼にとってその死は

 

生きている人にとってその死は

 

とても淡白で一瞬で

 

ひらひらと舞ってはすっと地面で消えてしまう雪のようだ

 

誰かが

 

この世界の生きているものが

 

一人でも死のメッセージを受け取ることが出来たのなら

 

暖かい地面にそっと降り積もることが出来る

 

 

そっと一人で死んでゆく人もいるが

 

自殺にどうして

 

遺書やメッセージ性のある何かを残そうとする人が多いのかは

 

最後に伝えたいからだろう

 

そこに世の生きづらさを綴る人もいれば

 

家族への感謝だけを述べる人もいる

 

生きづらさは死という形で見せればとても早いからだ

 

薬でキレイな遺体になるよりも

 

電車の下じきになってみたり

 

首を吊った方がはるかに遺体はひさんな姿になる

 

もしかしたら

 

そんな所にも死者のメッセージはあるかもしれない

 

 

ほら、このひさんなすがたのぼくを見てよ、と。

 

 

 

人身事故のニュースを見て人は言う。

 

最後くらい人に迷惑かけんなよ。

頭つかって死ねよ、と。

 

でも僕には分かる。

 

特にそれが会社での過労の場合や

恋人を失った大きなショックの場合

 

伝えたいのだ

 

こんな酷い会社があるんだよ

おれだけじゃないよね

酷い会社たくさんあるよね?

 

おれはこんなにお前を愛していたんだよ

弱虫なおれが

ホームに飛び込むほど愛していたんだよ

 

そんな風に。

 

 

最後に死ぬという自分を犠牲にした表現で。

 

 

彼らの身体は消えてしまったが

魂はさけんでいる。