BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

「知らない」という恐れ

海外へ行く時に、異常に危険ばかり心配する大人はもう消えた。

 

なぜなら、海外を知っているのはその人ではなく、もうこちらであるからだ。

 

僕が海外を経験したからこそ彼らは何も言わなくなったけれど、僕にしたら彼らの方こそ普段の生活に危険はないのかい?と問いたい。あの時のあの人たちにこう言いたい。

 

車を運転する時に毎度毎度「死ぬかもしれない」と思って運転していますか?と。

 

あんなに何でもかんでも危険やリスクを並べるのなら、日常に危険は数え切れないほど沢山あるものだ。事故に遭うリスクがあるから家にいよう、と思ったって突然家に車が飛び込んでくるリスクも地震が起きるリスクも、ナイフを持った不審者が入ってくるリスクだってある。となれば、家でリラックスすることすらできない。外を歩いていても人を殺せる車が沢山走っているのだから、常にヘルメットや重装備をして歩かなければいけない。

 

どこにいたって危険はあるのだ。

 

そりゃあ、まだ戦争が行われている紛争地に行けば死ぬ確率はぐんと上がる。でもそんな場所に行くといっている訳ではない。彼らの心配は、僕が行くといっている現地の街並みも気候も治安も知らずに言ってくる場合が9割。つまり「知らない」未知の世界なのだ。かえって、海外に行ったことのある友達の方がよく知っているから「〇〇には気をつけてね。」と知った上での具体的な注意をくれることがある。それはとても有難い。

 

 

「知らないこと」=「こわい、危ない」

 

と思っていることが非常に多い。

 

 

 

たとえば投資。仮想通貨。AI。

 

知識もなく、つけようともしないのに関わらず、テレビや雑誌での名前や悪いニュースだけを鵜呑みにしてそれら全てを「キケンなもの」扱いする。彼らが悲しい人間なのは事を判断する為の情報の少なさと、少ないのにも関わらず決めつけてしまう貧相な脳である。

 

 

今はスマホで簡単に世界中のニュースも、名前の知らない個人の思考も見れてしまう。なんてえろい世界だ。アダルト動画よりも、遥かにヌードだと思う。他人の脳みその中をタダで見れてしまうのだから、成功している人や真実を暴露している人の脳内を是非覗きまくってみたい。

 

 

様々な情報を目にし、どれを信じるかは自分次第だ。未だに「テレビで言うことはぜんぶほんとだ!」と言い切る人はテレビの言いなりになっていればいいし、「テレビで言われることは嘘かもしれない。真実を知りたい。」という人は本やネットで情報を探せばいい。大事なのは情報を見極める目と、知ろうとする心だ。その両方とも持ち合わせていない人、特に後者の心を持っていない人の多さには落胆する。

 

 

けれど両方を持ち合わせている人間と今年は繋がっていきたいし、次第に自然に繋がって行くと思う。

 

 

とりあえず、“戦後の日本について”の本がアイパッド内に何冊もねむっているので、お勉強を続けたいと思います。

 

 

おやすみなさい。

 

 

ちなみにヨーロッパまで片道5万で行けるということも知らないで損している人が多い。