BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

おこる

 

 

ほんの少し前までは相手に怒りを見せたりぶつけたりするのは"子どもらしい”と思っていて抑え込んでいたけれど、どうせ本当はある怒りを抑えてある日爆発するくらいなら最初から素直に相手に伝えるのが心地いい。ぶつけるのは良くないけど、時にぶつかったって自分に◯をつけてあげて良いと思う。こういう、抑え込んでしまうタイプの子には。反対に、普段から怒りをよく外に産みまくっている人間は、もう少し産む時期や産み方を考えてみたらいい。

 

 

「けんかするほど仲がいい」という言葉がきらいだった。そんなカップルは、あほらしいと思っていた。「大人なんだから、けんかしなくても話し合えるだろ」と18歳の小娘が言っていた。もっと人らしくときには感情に任せてもいいのに、すっかり人間になってしまった少女は成人する前に体内から"怒り”を消してしまった。感情の受け入れ方や出し方を工夫するのではなく、感情そのものを消していた。

 

勿論、感情を消せるはずなどないのだから消したと思っている感情がある日満杯になって爆発する、というサイクルをもう何度も経験してきた。

 

 

そして今、21歳になった今は"怒り”を感じてあげることも、産み出すこともできるようになった。初産だ。厳密には子どもの頃は自分の中に生まれた"怒り”に対して罪悪感も疑問も抱くことなく、ただただ「おれはこれに怒っているんだ!」と自信を持って怒りをいつどこでも、産んでいたのだけれど。ある日、"やさしい人間”は自分が怒りという卵を腹の中に身ごもったのにも気づかず、陣痛が来てはじめてそれを知ることになる。当然、お産の準備もできちゃいない。

 

 

 

人間は、愛し合った人と死ぬまで一生笑い合うだけがハッピーだろうか?

 

それともその中にほんのちょっと涙を流すシーンがあった方が感動するだろうか?

 

それとも「おまえなんかいなくなれ」と言ってしまうくらいのシーンがあっても良いのか?

 

 

言葉にすると3番目は酷く聞こえるけれど、実際にそういうシーンを持って結局は抱き合っている男女も数多くいるだろう。

 

 

けんかは一切せず、何かあったらきちんと話し合い。

 

それは素晴らしいことだ。

 

思いやりがないと出来ない。もしくは相手に執着していない。

 

 

でも今の自分にはちょっぴり不器用でたまに"まちがってしまう”人間関係が、いわば家族関係がうっすらかわいらしく感じる。

 

 

 

だから女の人が泣くと男性がよく言う、

「笑ってる方がかわいいよ」とか

「泣いてる顔は好きじゃない」とか

 

 

 

あんまり、わかんない。

 

 

「泣いてる顔も、好きになれよ」

 

とおもう。

 

 

 

RADWIMPS野田洋次郎だったら、

 

"その涙をコップ一杯に溜めて飲み干してみたい”

 

と言うだろう。

 

 

 

哲学的に、涙は美しいものだとおもう。

 

怒りも今なら、死ぬ時には美しく観える気がする。

 

長い人生でずーっと怒っていろと言っているのではない。

 

ずーっと泣いていろと言っているのではない。

 

 

そりゃあ誰だって、笑っているのが一番いい。

 

 

でも長い人生のたった一瞬、せっかく持って生まれた涙や怒りを一瞬だけ、愛してあげて撫でてあげてほしい。

 

 

そうでなかったら僕たちが涙や、涙を流せる眼や感情を持って生まれた意味がわからない。

 

 

理性を使いすぎて、疲れるのなら、

理性を使いすぎて、結局感情が爆発するのなら。

 

最初から感情をしっかり抱きしめたい。

 

 

 

せっかく持って生まれたのなら、

それらをしっかりあいしたい。じぶんのも、あいてのも。