BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

さよならどいつ

 

 

 

 

もうすぐで女優になる。

 

 

 

今、ドイツからウィーン行きの列車を待っている。

 

前に住んでいたこともあり、長くいたような気がするが、なんと実は10日しか経っていないという。

 

 

 

10日間で本当に色んなことが、本当に色んなことがあった。

 

ついていけなかった。

 

ついていけなくて、夢のようだった。

 

 

 

そしてこれから2日間だけウィーンに滞在し、それから3年ぶりのハンガリーへ向かう。

 

 

あの頃、初めてのヨーロッパがハンガリーで、確かに街は美しかったのだけれど、今ならもっとわかる。

 

あの街はとても美しい。

 

 

 

今思えば、中身の深い部分は変わっていないのだけれど、

 

18歳の金髪、ショートカット(きのこ)のボーイッシュだったぼくは外見的には馴染んでいなかったと思う。

浮いてもいなかったろうが、特別溶け込んでもいなかった。

 

今すこし大人になったぼくは、前よりずっと街に溶け込める。

 

 

 

この「街への溶け込み」がとても好きなのだ。

 

 

別に海外やヨーロッパで浮かれているのではなく、

やはりこちらにいた方が見た目も、心も、すんなり溶け込むのだ。

 

 

“街に溶け込めなくたって、堂々としてりゃいい”

 

 

と言われたり、思っていたこともあるけれど、

自分にとって街の外観や色、それらと自分の溶け込み、全てを含めてファッションだ。

 

 

 

でも、みんな普段から同じような思考を持っていると思う。

 

 

 

極端に言えば、ビーチに行くのには肌を露出したビキニが映える。

小麦色に焼けていれば、健康的でいやらしくない格好いい体が完成する。そこに映る全てでファッションが成る。

 

京都に行くのなら、高いピンヒールにミニスカートよりも、

落ち着いた露出の少ない大人の女性を演じる必要がある。

 

 

海でのビキニ例は単にTPO的な問題もあるが、見た目的な問題でも海に浴衣の女性は似合わない。

 

 

 

それと同じように、たとえば日本の建物がカラフルだったら。

 

ヨーロッパ調の建物だったら。

 

もしくは建物みんな、真っ赤だったら。

 

 

自然とそれに合わせて服を選ぶだろう。どこへ行くにも。

 

 

 

 

夜のネオン街を歩くには、少々色気の感じさせるくらいがカッコイイ。

 

同じ格好で真昼間の公園には行けない。

 

 

 

 

 

でももし、みんながその自分の感覚と逆のファッションをしていたら?

 

 

海に行けばみな肌を隠していて、ネオン街にはスウェットの女性ばかり、お昼の公園にはピンヒールでミニスカートのお姉さん。

 

 

 

みながそれを当たり前だと認識していたら、自分はどうするだろう?

 

 

 

 

そんなことも考える。

 

 

 

 

ヨーロッパでの真夏も、真冬も、皆じぶんと同じような格好をしている。

 

じぶんと同じ感覚を持っている。サイズ感や色使い、姿勢等。美的感覚が近い。

 

 

 

 

もしヨーロッパで女性がみな日本人女性だったら、自分は居心地の良さを感じないだろう。

 

ファッションやメイクの好み、感覚がこれほどまでに違うから。

 

まぁ簡単に言えば結局はやはり「おれの好みの女性がいない」に尽きる。

 

 

 

結局、何度も外国に足を運んで感じる居心地の良さ、日本の居心地の悪さはそこなのだ。

 

 

もっと女性に惚れ込みたい。

 

意識の高い、もしくは意識なんて高くもないけれど綺麗な女性が沢山歩いていてほしい。

 

そうでないとそれを選ぶ男性も好きになれない。

 

 

 

日本人の女性が美しくないのではなく、おれの中での「美しさ」とは釣り合わないだけだ。

 

 

他の日本人女性がヨーロッパへ来たら同じように逆のことを感じるかもしれない。

 

「ヨーロッパの女性だれも可愛い人がいないわ。」

 

なんて。

 

 

 

 

 

トイレに行ってくる。