BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

日曜日

 

今日は日曜日。

 

みんながお休みの日。

だけどなんでか、家にひとり。

 

 

曜日に縛られた生き方はしたくないから、

土曜日を終える喜びも、月曜日を迎える苦痛も

他の人とちがってなにもない。なんにも。

 

 

だけどみんなが曜日毎に規則正しい生活を送っているから

人が蟻のように溢れる日曜日はきらい。

 

そうやってみんなが「曜日」という見えないものに

あまりにもキレイに従っているのもまたきもちわるい。

 

 

 

でも「家の中の日曜日」はすき。

 

 

今日なんて誰もいないけれど、

いつも何かに引っ張られるように家のドアから摘み出されるパパやママが

ちょっぴりオシャレをしてゆっくりとドアを開ける光景が、すき。

 

 

家は曜日なんて言葉も知らずに普段と何も変わらない佇まいなのに

なんでこんなにも空気がゆったりと、時計の針はゆっくりと。

 

 

「あぁいっそ、毎日がこの世でいう“日曜日”なら。」

 

 

なんて思うけれど、

 

そうなってしまうときっと今呼んでいる日曜日は

日曜日ではなくなってしまうんだ。

 

 

 

 

去年、ヨーロッパを周ったとき。

またドイツに2ヶ月間住んだとき。

 

 

たしかに日曜日という名の謎の休日には

スーパーの店員も、コンビニの店員もみんな休んでいて

日本よりも休日感が漂っていた。

 

なーんにもなくて、ただそこに休日があった。

 

 

「みんなが働いていない」という7日間毎に突如現れる

日常の異常な鷹揚さはしあわせでもあり、少々奇妙に感じた。

 

 

この極められた日曜日に加え、“日曜日以外”でも、

どこか日本でいう“日曜日”を感じたのはなぜだろう。

 

 

それは「うぁ〜明日からまた仕事がはじまる〜」

といった未来への絶望ではなく、ただ単にそこに現れる休日感だ。

 

 

自分がそこで働いていなかったから、

働いていたら全く異なる曜日感を見ていたかもしれないけれど

 

一緒に住んでいたトルコ人

いつもバラバラのシフトで且つ仕事もコロッと変えたりで

日常にはごく自然に音楽と遊びと公園があって

 

曜日や時間や会社という星の周りを彼が回っているのではなくて

あくまでも彼という大きな星の周りを

ちっぽけな数々の惑星(曜日、時間、会社)が回っているような

そんな大きなうちゅうに見えた。

 

 

彼という恒星は自らエネルギーを持って光っているのに対して

周りを回る惑星はそうではない。

 

 

一方、日本では多くの人が

会社という大きな星にエネルギーや光を吸い取られ、

自分自身がその周りをくるくると回っている。

 

 

本当にエネルギーを持っていて自ら輝けるのは

自分という星だと知らずに。

 

 

はやくそのことに気づいて

この宇宙の空が会社や曜日やお金ではなく

輝く人間の星でいっぱいになればなぁ、なんて思う。

 

 

 

 

まだ午後一時。

 

 

 

 

なんだかなぁ。