BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

3月8日

 

 

予定より2、3ヶ月早くにバリ島を出た。

 

けれど感覚は最低でも3ヶ月は滞在していたような。

 

 

それもバリだけでなく去年の終わりにした一人旅のような、

 

色んな国を歩き回ってきた感覚。

 

 

 

けれどどうゆうことやら、

 

カレンダー的には1週間しか経ってないらしい。

 

 

日本にいたら全く違う時間の感覚なんだろうに。

 

 

 

日本でふだん頻繁に会っていない人とも

 

いつかのブログに書いたよう

 

物理的な距離が遠くなれば

 

それと比例してその人までも遠く感じる。

 

 

 

英語でよくいう「I miss you」

 

日本語で言うと「あなたが恋しい」や「会いたい」は

 

自分の中でどうも一致しない

 

同様な日本語がないなーといつも思う

 

 

だからといって日本人に「i miss you」というのも変だから

 

仕方なく「恋しい」という言葉に当てはめる

 

 

そんな、英語の方が自分の感覚や感情を当てはめたり

 

実際にそれを口に出しやすい言葉が沢山ある

 

 

 

色んな国の人に出会って英語で話す機会があれば

 
「(なぜ)何のために写真を撮るの?」
 
「誰のためにアコーディオンを弾くの?」
 
「愛についてどう考える?」
 
「あなたにとって愛とは?」

 

 

自分の考えや人生観を語る場面がよくある

 

これも一人旅ならではなんだろうけど

 

 

日本ではまだまだ「愛についてどう思う?」

 

なんてよっぽどなことがない限り聞かないし

 

況してや初めて会った人とそんな会話はまずない

 

 

人生観や思想、死生観、凡ゆる物事に対する考えを表現することすら

 

恥ずかしいとか、ナルシストとか、

 

道徳の授業でやっと仕方なくペンを握るくらいだろう

 

 

勿論、そんな話が飛び交う場所もあるのだろうけど

 

もっと日常的に「自分」や「愛」について

 

語るシーンがあっていいんじゃないかと思う

 

 

 

日本人は集団行動を愛しているから

 

集団からはみ出ることを最も恐れているから

 

 

誰か一人が勇気を出して愛を語ったところできっと

 

「え、なに愛について語っちゃってんの、きも」

 

くらいのテンションで秒殺されることが

 

特に若者にはまだまだ多いだろう

 

 

 

「学校はまちがうところ」というけれど、

 

今は本当の意味で“まちがっている”。

 

 

 

 

 

 

さて、学校といえば、今日は卒業式らしい。

 

 

 

小学校を卒業する時、卒業することがこわくて、

 

中学校に行くのがこわくて、

 

なぜみんながそれをできているのか、

 

不思議でたまらなかった。

 

 

 

けれど気づけば自分もそんな道を歩めていた

 

どうってことなかった

 

 

 

今はなぜほとんどの人がわざわざ

 

20年も掛かる子育てという選択をしているのか

 

またその道を歩む人の多さ

 

疑問さえ抱かずごく普通にそれを熟す人々

 

不思議でたまらないけれど

 

 

小学生の頃こわかった「卒業」のように

 

大したことはないんだろう

 

 

 

大人は大人に見えるだけで

 

子供も子供に見えるだけで

 

学校の先生は先生ごっこをしているだけで

 

キャビンアテンダントもごっこ遊びをしてるだけで

 

 

 

「こんな女性になりたい」

 

そう思ったら今日からそれを演じられる

 

 

「上司にかしこく思われたい」

 

そう思ったら今日からそれを演じられる

 

 

「かわいいと思われたい」

 

だったらぶりっこしてりゃあいい

 

 

 

なんにでもなれる

 

 

 

 

 

今の自分は

 

かしこい女性のフリをすることも

 

少年のような子供のフリをすることも

 

エレガントな女性にだって

 

純粋な子供にだって

 

 

なんにでもなれる

 

 

 

 

あと10年生きれば

 

子供のフリはできなくなっている

 

いやきっとしたいと思わなくなるか

 

必要性がなくなるか

 

 

けれど

 

どんなときもなりたいキャストは設定できる

 

 

 

少し前まであらゆる接客や人々の仕事、

 

リッチなサービスを受ける人とそうではない人、

 

今を夢で創り固めている若いカップル、

 

浮気をしながら仲良く見せている家族、

 

街に溢れかえるビル、飲食店、車、お金、人間、

 

 

 

「すべて」がおままごとのような

 

人間がこの星で遊ばれているような、

 

そんな感覚だった

 

 

 

それを知らずに遊んでいるのか、

 

それを知っていてある日

 

あきらめて「ごっこ遊び」を楽しむことにしたのか、

 

そうだとしたらもっと楽しめないのか、

 

なぜこんなにも困っている大人が多いのか、

 

嫌いな役をわざわざ選んでいるのか、

 

わからなかった

 

 

 

まるでミニチュアの模型を側から見ているようだった

 

 

 

 

そして自分もそんな世界を楽しめずにいたけれど

 

今は少し大人になって

 

「どーせなら楽しんでみようか」

 

くらいにはまた戻ることができた

 

 

 

 

ので残り6時間ほどの飛行機、たのしみまーす。