BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

終わり

 

先のことは一切考えずに

 

「今」だけを生きること

 

それを誰よりも

 

自由に楽しく実践しているように

 

思われてて

 

 

自分でもそのつもりで

 

 

 

だけれど

 

実は

 

誰よりも終わりを意識していて

 

 

それはもちろん

 

自分の死であったり

 

友達や家族の死であったり

 

 

 

申し訳ないことに

 

自分のイメージの中では

 

何人もの愛する人たちを

 

一度はころしたことがある

 

 

 

それくらい

 

誰がいつ死んでもいいくらい

 

自分に

 

そして他人に

 

常に素直でありたいということ

 

 

 

と思う日々の中、

 

 

時に終わりがあることへの

 

寂しさ、多くは切なさで

 

つぶれてしまいそうな時もある 

 

 

 

 

だからこそ今を“意識的”に

 

楽しもうと努力する

 

 

 

 

 

お笑い番組

 

何となく見てるようであって

 

 

そこには

 

「笑おう」「笑いたい」

 

という思いがある

 

 

 

それとおんなじく

 

「楽しもう」「笑おう」

 

という思いで

 

自分の人生のチャンネルを

 

自分で選んでいる

 

 

 

けれどもお笑い番組だけじゃあ

 

飽きてしまうから

 

自ら「泣こう」なんて思って

 

ドキュメンタリー番組に切り替えたりする

 

 

 

時には疲れて

 

放送休止で何も映らなくたっていい

 

 

 

ただ大事なのは

 

自分で選ぶということ

 

 

ただなんとなく

 

テレビをつけっぱなし

 

にはしないということ

 

 

 

 

 

でも自分の場合

 

 

日本にいる分にはやっぱり

 

いくらリモコンをいじくったって

 

「お笑い」「コメディ」

 

のチャンネルにはぴったり合わない

 

 

 

数年後にニコニコと

 

日本で暮らしている自分が

 

いるかどうかは誰も分からないが

 

 

“今の自分”にはどうも、出来ない。

 

 

 

自分の人生というテレビの前に

 

なんらかの障害物があるのか

 

リモコンの調子が悪いのか

 

それは分からない

 

 

 

 

でもひとつだけ確かなことがある

 

 

 

あの大好きなクロアチア

 

その他自分の好きな外国に行けば

 

リモコンを持たずとも

 

自動でチャンネルが切り替わる

 

 

いつも笑っていて

 

いつもハッピーな

 

 

 

 

それも知ってしまっている

 

 

 

 

だから

 

いくら自分の握りしめたリモコン次第で

 

テレビに映し出す映像を切り替えられる

 

といっても

 

 

リモコンを握る自分が

 

狂っていたら意味がない

 

 

だから

 

自分をどこに配置するかは

 

とてつもなく重要なこと

 

 

 

 

やはり自分には

 

 

海、港、路地裏、英語、クロワッサン、

 

カラフルな市場、スーパー、果物、

 

楽器の弾ける場所、おじちゃんおばちゃん、

 

 

これらは必要不可欠であり、

 

「人間くさい所」でないと

 

いつか死んでしまう

 

 

 

 

広すぎるこの世界

 

どこに行っても

 

同じ景色が広がればいいのに

 

 

 

そしたら

 

「ここにはない景色」を求めて

 

今ここにいる人たちと

 

お別れする必要などないのに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はすこし疲れてる

 

 

 

誰に点数を付けられる訳でもない

 

真っ白なテスト用紙に

 

自分で問を書いては

 

ずっとその問とにらめっこしてる

 

 

 

この地球に生まれた意味は?

 

人が愛し合う意味は?

 

罪の意識はどこから?

 

なぜキレイに人を愛せない?

 

 

 

 

まだそのテスト用紙には

 

自分の名前しか

 

書けていないけれど

 

 

 

 

その愛しい問たちは

 

自分のしわしわになった右手が

 

ペンを持てなくなる時までずっと在る

 

 

 

どうか

 

 

 

最後の呼吸が終わる前には

 

何かひとつでも

 

解答欄の空白が埋まってると

 

いいな