BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

撮影モデル募集について①

 

これから撮影したいものを紙に具体化してみました。

 

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生々しい直筆なので、

わかりやすくここにまとめると

 

1 ラムゼイハント症候群の女性

2 50歳以上の女性

3 女性のヌード

 

 

とにかく「女性」を表現したいようです。

 

 

今回は2の「50歳以上の女性」について。

 

と、全てを語る前に自分の女性性について。

 

 

 

今までは女性というものに何の興味もなく(と思っていた)、つい最近まではずーっと男みたいなショートヘア。中学生まではよく男の子に間違えられ、服装も男の子。

 

高校に入り、胸が目立たないようスポーツブラをしたり、わざと姿勢を悪くしたり、ボーイッシュ通り越して「あいつ性同一性障害じゃね?」の噂もあったらしい(笑)

 

自分自身、「本当に性同一性障害なんじゃないか?」と心配になった時期もあった(笑)

 

 

がしかし、

高3で学校を辞めてから気付いたこと。

 

それは、“実は誰よりも「女性」として生きたかった”ということ。

 

 

でもそれは半分本当であり、ちょっと違う。

 

 

最近初めて自分と出会う人は、

 

「20代後半の女性(はたまた30代)」か

「ボーイッシュな若い女の子」

 

のどちらかの印象になっていると思う。

 

 

その日の自分の気分(ファッション、メイク)によって初めて会う人には真逆の印象をつけている。

 

 

長く一緒にいる人はどちらの自分も知っていて、たとえボーイッシュな格好をしていようが女性的な面も知ってくれていて、逆にレディな格好をした時でも男っぽい自分も知ってくれている。

 

 

結局、誰よりも女性でいたかったのは事実でありながら、自分の中には分かりやすいほど極端な「女性性」と「少年性」がある。

 

 

これはファッションだけの話ではなく生き方としても存在していて、

たとえば旅をするにしても、

 

「お洒落をしてパリの街を歩きたい」(女性性)自分と、

「裸で木に登ったり野性的に生きたい」(少年性)自分がいる。

 

 

昔はこの2人の自分を区別することが出来ず、ごちゃごちゃになって混乱してしまっていたのだろう。

 

いや、明確に言えば“女性性”の自分に蓋をしていたのだ。

 

 

最近は完全にこの2人の自分をコントロール出来るようになり、会う人や場所、またその日の気分によって見事に使い分けるようになった。

 

なんとなく、もう少し歳をとれば段々と「少年性」の部分はファッション的には少なくなっていき、いつも女性的な格好になっているのかなぁ、とも思う。

 

 

面白かったのはつい最近、「女性」の気分の日(わかりやすく言えばワンピースを着たりヒールを履くような日)にお出かけすると、

 

「色気がすごい」と会う人会う人に言われたのだ。

 

こんなこと、「少年」の日(パンツやサンダルの日w)の自分しか知らない人には想像もつかんことなんだろうなと思い、またその逆もあり、何だか寂しくなった。

 

自分で2人の自分を操作しておきながら、どちらかの自分しか知らない人が多いことを面白がっては、たまに切ないような気持ちになる。

 

全く違う役柄の映画に出ていて、そのどちらかの役柄しか知られていない様。

 

 

 

「色気」とは大胆に露出した服を着なくとも、経験や生き様、意思や強さ優しさ、色んなものが滲んだ上に出来てしまう色だと思っている。

 

「色気」とはいやらしさではなく、その人にしか出せない魅力、色。

 

ただその色気はいつどこで何をするときでも常に溢れるものではなく、コントロールできてこそかっこいいと“自分は”思う。

 

 

よく耳にする「男の色気」はいつでも備えていていいと思うが、

 

「女の色気」は場合によって「閉まう」作業も必要なんじゃないかと(いつどこでも色気のある女性は勿論素敵だが、自分が目指しているのはそちらではないという意味で)。

 

 

「女の色気」に喜ぶのは男性で、

女性は同性の色気にはライバル心、嫉妬心を抱く人が多い。

 

 

褒められたその日、気付けば、周りにいた女性からは褒め言葉から“一見褒め言葉に聞こえる妬み”に変わっていた。

 

 

色気に限らず、20歳の自分が色んな場面に出くわした時、若さに対する女性からの嫉妬を頂くことが多く、

 

 

「もうよくね????」

 

 

と正直ウンザリしちゃってます。

 

 

「色気ではあの女には勝てない」と分かったのなら

自分は自分の色気で勝負するか、自分は自分のキャラクターで勝負すればいい。

 

「若さ」で若者に勝てないのは変えられない事実なんだから、

「50歳」にしか出せない魅力で戦ったらどうなん?

 

 

ていうか、

戦った覚えないんやけど!!!

 

 

と。

 

 

 

 

つまり何をいいたいかと言うと、

 

いくつもの土俵があるのに

(勝てる土俵があるのに)

わざわざ自分が勝てない土俵に立たんでもよくない?

 

 

 

そして、 

 

ここまで気持ち悪いほどに

「若さ」にしがみついた日本の美容界、どうなっちゃってんの??

 

と写真を通して叫びたい。

 

 

 

だから敢えて、

「20歳ずるいな!」

「私だって20歳の頃は!」

 

と一番うるさくて愛らしい「50歳以上の女性」を限定に、撮影させて頂こうと思います。

 

 

 

 

少し丁寧に書くと、正直、

 

50歳を超えた女性って、

1番美しいと思うんです。

 

 

そりゃあ、同じ50年でも、

 

どんな過ごし方をしてきたのか?

どんな言葉を使ってきたのか?

見合ったメイクはしてるのか?

 

人によって全然違います。

 

 

それでも笑いすぎてこの世に生まれた「口角のシワ」や、垂れ下がった愛嬌のある「目尻のシワ」は自分のような若者には決して出せない“魅力”が溢れてるんです。

 

「シワやたるみのない顔」は確かに美しいかもしれません。

 

けれど自分が美しいと思うのは、撮りたいと思うのは、お人形のような整った美しさではありません。

 

産声なく生まれた自分のシワや衰えさえも丸ごと愛せた女性こそ本当に美しいと思うのです。

 

なのに、「若い私」「50歳にみえな〜い♡」をいつまでも追い求める女性が特に日本には多くて、

 

結局それは手には届かないのでその妬みの矢が関係のない若者の自分達へと向けられ…。

 

 

なんて悲しい世界なのでしょう(笑)

 

 

いや本当に。

 

 

 

じゃあ若者は?といえば、

 

「お人形みたいな顔」「〇〇ちゃん(モデル)のメイク」をモデルにしたり一部をマネするのではなく、むしろそれになりきってしまう。

 

メイクからファッションまで「大量生産型」という言葉が生まれるのがごもっともな状態。

 

 

 

「美しさ」に対する価値観は人それぞれであり、女性が「美しさ」を求めて生きる姿こそ、既に「美しい」と思う。

 

ただ、元から生まれ持った体やパーツの愛らしさを気付かずに、「ないもの」ばかりに手を伸ばす女性の多さが、その美容界が、

 

自分にはただただ、とても悲しい。

 

 

整形をして自信を持って生きられるのなら、

外国人の真似をして二重メイクをして生き生きと生きれるのなら、

若さ求めていつまでもミニスカートを履いて心が気持ちいいのなら、

 

好きにしたらいい。

 

 

でもその前に、

「自分の顔、みたことある?」

 

と言いたい。真面目に。

 

 

「そんなん散々見たことあるわ!!」と反感を買いそうですが、

案外自分の顔って、自分の体って、ちゃんと分かってないもんです。

 

人間の顔はほとんどの人が左右対称ではありません。

 

「自分の顔、右と左どちらが好きですか?」という質問に、即答できる人はどのくらいいるでしょう。

 

また、日本人はあまり自分の「後ろ姿」を気にして見ません。

 

何十年も生きてきた自分の顔、体。

 

なのにパーシーに写真を撮られた友達は皆んな、

「こんな顔してたんだ!!?」と落胆。

 

 

ではなく感動。するんです。

 

知らなかった“自分の美しさ”に。

 

 

プリクラではないから目も大きくならないし、小顔にだって色白にだってなりません。

 

今やスマホの自撮りで十分誰でも可愛くなれてしまう時代。

 

そんな時代にいかつい一眼レフのレンズを向けられることは、

それはそれは「現実」が映し出されてとても怖いものです。

 

でももう一度言います。

 

じゃーあ、

現実(加工なしの自分)見たことあるの?

 

と。

 

 

 

 

 一言でまとめると、

 

一眼レフ=現実=ブスだからいやだ

 

 

 

この常識をぶち壊したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

募集詳細や詳しい内容は後程。

 

 

 

 

 

既に「あたしのことだわ!汗」or「あたしのことだわ!怒」、と焦っている人は

メッセージでご相談ください。

 

 

ここまで読んだのにも関わらず、「若者が何を偉そうに!」「50歳にならないとわからないわよ!」「あんたは元が可愛いんでしょ」と言うツンデレ的な方も出てくると思います。

 

そんな方はこの記事は読なかったことにして暖かい紅茶でも飲んで暖まって頂きたいです。

 

欲を言えばそれから一言、「私は(すでに)美しい」と呟いた後にたまにはお昼寝なんてして頂けたら限りなく幸せだな。

 

 

 

 

紙に書いた1と3についてはまた。