BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

さよならスロベニア。

 

初めてスロベニアの地に立った朝。

 

朝5時。

右も左も前も後ろも分からない。

 


さみしい。

 

さむい。

 

恋しい。

 

さむい。

 

さむい。

 

 

 

孤独で死んでしまううさぎのようだった。

 

“太陽が苦手”とうたいながらも、こういう時には「太陽くらい上がってくれよ」と求める自分勝手さ。


やっと太陽が顔を出してくると、共に見え始めるランニングをする若いお兄さん、お姉さん。自転車に乗せたパンの匂いを見事な程にふんわりと残し去るおばさん達。ローラースケートやキックボード、自転車、自由な足で学校に向かう子供達。

 

地元民には“いつもの朝”として映る景色が自分にとっては全て初めてで、消えてしまいたいほど孤独な朝。


そんな時も、やはり「音楽」に頼ることしか生き延びる方法はない。

 

音楽があったから、何とかホテルまでの距離を歩き続けることが出来た。何度も立ち止まった、いや地べたに座り込んだけど。


正直、首都の建物の外観はヨーロッパどこでも殆ど変わらない(自分的に)。どこ行っても美しい。

 

それでも明らかに何かが違う。

その“何か”は、「空気」と「人間」。


道を聞くにしても、個人的に今いるスロベニアはどこか冷たさを感じる。ドイツのように二ヶ月住んでみたら変わって感じるのだろうけど、初めて訪れた時の“感じ方”はとても大事だ。

 

「空気」に関しては嗅覚が感じているのか、触覚なのか、もっとスピリチュアル的な部分でなのか。分からないがその違いを肌は繊細に受けている。

 

これで一部屋に数人泊まるドミトリーではなく、ビジネスホテルのような所に一人泊まりなんてしたら、きっと死ぬだろう。

 

どんな豪華なホテルだろうと、死ぬ。

 

 

2日過ごし終えた今もこの感覚は変わらなく、街にも人にもあまり心が動かなかったのでそそくさと違う所へ移動します(リュブリャナしか行ってないけど)。

 

その国は、「クロアチア

 

 

“ 路地裏 ファン 国 ”

 

で検索したらヒットした「ロヴィ二」という街に行ってきます。

 

どこへ行っても心が動かないのはきっと、もうそこに恋心を寄せているからなのだと思う。

 

 

 

 

通り行く人に突然「hello」と言ってもおかしくない世界なら、何も知らない初めての地でも怖くないかもしれない。

 

ドイツで約二ヶ月間同居したトルコ人は、駅で自分が途方に暮れていなければ友達になってなんかいなかった。

 

「よし、俺ら今から友達。」

 

といって出来る友達なんていないもんだ。友達のほとんどがどう友達になったかなんてよく分からない。

 

それでも日本よりは、通りすがりの人間と笑顔を送りあったり、会話が生まれたりする外国は自分には暮らしやすい。

 

「よし、俺ら今から友達。」

 

のセリフもそこにはあっておかしくもない。

 

 

旅をしていたら色んな人間に出会うけれど、

 

トルコ人だけは気を付けろ!」と言われていたトルコ人と二ヶ月も時間を共にしたし、

 

イスラム教なんかこえー」と思っていたムスリムが一番親切にしてくれたし、

 

「日本人合わねぇ」とグレていたくせにアコーディオン弾いてお金くれた瞬間「日本人最高だな!」とか思ってるし、

 

 

そんなもんだな。

 

 

 

 

これしか動画なかったけどまじで今の自分の心境ピッタリだから聴いてくだたい。たい。