BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

喧嘩するには共通言語がほしいけど仲直りするにはいらない話

 

トルコ人と喧嘩した。

同居開始からもうすぐ2ヶ月。

 

いつもは朝8時半に起床。トルコ人はまだ寝ている。が、その日は10時過ぎまで熟睡、彼の方が先に起きた。

 

ソファで寝ている自分の元へ彼がやって来て、「〇〇行ってくる」というが勿論聞き取れない。するとその日家に泊まっていた彼の友達と、Google翻訳機が揃って「Zoo(動物園)」と訳した。

 

 

その瞬間、気付いたら怒っていた。

 

 

(…えw)

 

 

“だって、ライオン、見たいもん”

 

 

 

というのも、彼の口からは「一緒に行く?」なんて言葉が発せられてるが、3秒後には家を出るような雰囲気をプンプン放っていて自分には準備する時間など与えられていないのだ。

 

女が寝起き3秒後に出かけられると思うなばーか。

 

そして、

パーシーが、

 

どれだけライオンを好きだと思ってるんだ。

 

 

ていうめちゃくちゃ下らない理由でなんか知らないけど怒っちゃった( ˙༥˙ )ごめんねトルコ。

 

 

そりゃそう、この日は生理がきたばかり。

 

タダでさえ意味もなくイライラしてしまうのに、大好きなライオンをトルコに独占されてしまっては死んでしまう。パーシーにとって、それくらい壮大なスケールの中「動物園」は存在しているのに、それを意図も簡単に蹴り飛ばす。

 

彼は慣れない英語で即座に「あいむそーりー、あいあむそーりー」と言い、家を出た。

 

自分の怒りの大きさに気付かない彼と、ライオンへの愛情と嫉妬で精神が狂い果てる。視界に入る物全てをぶちまけたかったが、少し大人になった今は“投げても大丈夫な物”を考える余裕を持っていた。目の前にあった“かゆみとバイバイ(かゆみ止め)”をぶん投げる。

 

暫く動けず、テーブルに頭をくっつけていると玄関のドアが開く音。彼の恒例行事、忘れ物だ。

 

咄嗟に彼は床に転がった“かゆみとバイバイ”を拾い「何だこれ?」というのも束の間、 「あー。さてはこの野郎!とぶん投げたんだな?」と笑う。が、この辺りからパーシーの異常さに気づき始める。

 

共通言語の持たない2人は何も理解し合っていない。彼はまさかパーシーが「生理で情緒不安定な上に大好きなライオンが独占されるとは何事だ」というクソみたいな理由で怒っているとは知らない。

 

彼の方が折れたのか、事情が変わったのかは分からないが「やっぱ行かない、スーパー行ってくるわ」と言う彼にまたも苛立ち。

 

 

「いや、動物園行けよ。」

 

 

 

 

(あまのじゃくwwwwww)

 

 

 

生理前、生理中に起こるPMS(月経前症候群)のイライラは何をされても結果、苛立つのだ。男性の皆様、ご迷惑お掛けします。とは毎度思ってるんだけどね。思ってるだけ。

 

メイクする気力もないけどシャワーくらい頑張って入っとこ、と思いシャワーから出ると「パーシー!」キッチンから彼の声。

 

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なんと、この状況でパンとコーヒーを持ってきてくれたのだ。

 

ただそれだけで、ライオンが消えた。

笑えるほど怒りに意味はなかったみたいだ。

 

彼はいつもそう。それしか喋れないんじゃないか?と心配になる程、お腹空いてる?を多発するのだが、自分の答えに関係なくいつもお腹いっぱい食べさせられる。その“日本のおばあちゃん”的な愛情に今回もヤラれてしまった。

 

恥ずかしながら謝る子供の様に「ありがとう」といい、濡れた髪のまま大事に食べた。

 

気付けばもう、2人の間に流れる空気は澄んでいる。

 

そしてどういうことやら、「動物園一緒に行く?」という流れが生まれ、買ったばかりのチャリを借りてサイクリングが始まるのだった。

 

2人の空気に負けないくらい酷く済んだ森の中を、勢いよく2つのチャリが駆け抜ける。やがて動物の鳴き声が横から現れ、更に加速してチャリは進む。

 

そして勢いよく辿り着いた先、そこはライオンの待つ動物園!!!

 

 

 

 

 

 

ではなかった。

 

 

犬。

 

犬。

 

 

そして、犬。

 

 

どこを見渡しても猛獣の気配はない。

 

 

「え、だったら家でアコーディオン弾いてたんだけど」というのが正直なところだったが、来ちゃったもんは仕方ない、犬でも楽しんでやろうじゃないの。

 

仲良く散策すると、確かに「動物園」と呼ぶべきように犬が檻の中にキレイに“陳列”されている。人が飼えないようなでかい犬も顔を揃えている。

 

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結局、犬と多少の猫とウサギとネズミを見て、終わった。

 

彼はどうやら、“チャウチャウ”を見に来たらしい(本気で飼うと言っている)。

  

帰りは行きよりもエキサイティング。ギリギリ道になっている道をひたすら走り、また違った可愛い町並みも発見、仲良く帰宅。

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(伝わんなwwwww)

 

 

 

もし2人に共通の言語があれば、訳の分からない喧嘩(自分が勝手に怒っているだけw)は平行線だったかもしれない。言葉があれば“愛してる”や“ありがとう”を伝えられる反面、傷つけることも出来てしまう。

 

ましてやスマホなんてものが世界のあちらこちらに隙間なく普及し、いつでもどこでも誰とでも言葉を交わせてしまう今、その“便利さ”が「想像力」を掻き消してしまっている。

 

言葉がなければ人はもっと優しくなるとも思う。

 

あの日、意味のわからない怒りを産んだ自分が偉そうに書くことはできない。に加え、言葉の有無が果たしてどちらが良いのかは時と場合にもよる。がしかし、言葉を持って生まれてしまった以上、言葉を発することは止めたくない。大事なのは“使い方”だ。

 

そして個人的な見解として、もし言葉が最も大事なコミュニケーションツールだとしたら、異なる言語の人間など生まれなくてよかったのだと思う。

 

 

現に今、誰一人マトモに言葉の通じないこの国で、生きられているのだから。