BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

忘れられない日本人

アコーディオン、初ストリート演奏」とタイトルを付ける予定が、“忘れられない日本人”に会ってしまったので、変更しました。

 

 

昨日、この記事に書いた“最高な演奏場所”を目掛けて、途中シャッターを切りたくなる衝動にも打ち勝ち、ニュルンベルクの街を一直線。ここ最近、長袖でもいいくらいだったのが、今日はまた28度。アコーディオンをおんぶしての坂道は砂漠だ。

 

と、ふと目に入り込んだのはいつも目にする無駄にカッコイイ建築物。「こんな素晴らしい建物に囲まれてんのに何も感じないのかよ」と地元民に不満を抱えていた自分も、今じゃそちら側だ。だが今日は何だか、惹かれた。

 

よく見ると、ドアが開いていて人がスムーズに出入りしている。このスムーズさにお金を払っている素振りは見受けられない。

 

ということで、入りました。

(所持金ゼロ)

 

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 ……

 

 

 

圧巻。

 

 

何故、今まで外見だけで満足して中を気にすることもなかったのだろう。

 

そこでもまだ、「こんなことしてる場合じゃない」と使命感で破裂しそうな頭に針を指し、弾きに行く前にしばらくここで“無”を感じることにした。

 

結果、何十分ここに滞在したことやら。

いや、時間すら存在しなかった。

 

だがしかし。やはり“音楽”を欲してしまう僕の身体には、いつものRADWIMPS野田洋次郎を授けてあげる。

 

 

君の名は。」で一気に跳ね上がったRADだが、その時は驚いた。この世界観が大勢の人間にウケるのか?と。

 

というのも、今自分が知っている人間の中で1番感覚が合うのが野田洋次郎。会ったこともないが、あんな曲を何十曲もこの世に産み落とし、それを聴いた自分が涙するのは、裸で会っているようなモンだ。

 

普段から自分が感じている独特な世界観を、自分が書いたのか分からなくなるくらい見事に「音楽」に変換してくれる唯一の人なので、それが万人に受けるのが不思議で堪らなかった。彼の音楽が存る限り、自分で曲を作る必要は無い。

 

広い教会の中、前から2番目の席。そんな野田洋次郎(自分)の世界観と、ひんやりとした教会の静寂が妙にマッチし、涙が零れる。

 

 

「最後の歌」/  RADWIMPS

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忘れてた。

 

 

 

いま、生きてた。

 

 

 

 

 

これまでの人生が走馬灯の様に瞼の裏に映し出される。正しくは無理矢理、映し出した。

 

言葉も喋れなかったあの頃にママが毛布をかけてくれたこと、どうしても食べられなかったキュウリ、それでもどうしてもママの喜ぶ顔が見たくてティッシュに包んで捨ててしまったこと、その瞬間をママに見られたこと、嫌いな男子から机を2cm離したこと、教室に入れずトイレに篭ったこと、学校の屋上から飛び降りたいと思ったこと、それでも生きたいと願ったこと。

 

全て書いたら指がつる。

 

大好きなじいちゃん、“高卒”という肩書き、進路、恋人、友達、家の鍵、チャリ鍵、あの日の宿題、財布、そして財布、失ったものは溢れかえっている。

 

それでも生きている。

 

本当は何も失ってないのかもしれない。

 

あの日消えた宿題のことなど、あの日消えたチャリ鍵のことなど、思い出す日なんて一日もない。今失った財布のことなど、死ぬ時には瞬きの如く一瞬の出来事となるんだろう。

 

それなのに何故こうも感情豊かに生まれてきたものか、目の前の出来事に全身を使って必死にしがみつく人間は、愚かで、愛しい。

 

 

おっと。

 

このブログを書くには、教会に来たのは間違いだった。話が進まない。

 

最後に、

「良い出会いが訪れますように」

 

と教会を後にした。

 

 

ここからは坂道のオンパレード。せっかく目から流れていた涙が、また汗と化して全身から溢れ出す。 

 

涙と汗で脱水症状の手前、やっと辿り着くとそこはバイオリン弾きのおばあさんに先を越されていた。目が合ってニコっと笑みを交わすが、「おいおい笑えねーよそこオレの場所!」と心の中で叫ぶ。おばあさんにはバイオリンの音しか聴こえないみたいだ。

 

「まじありえな」と日本にいる友達とラインを交わしていると、ん?昨日のバグパイプのおっちゃんの時と背景が若干、違う。随分似ている、が、ここじゃない。

 

昨日は本当に何も考えずにぼけーっと、心の、足の、赴くまま進んで行ったのだなぁ、と実感。ブログタイトル“BOKETTO”とはこれのこと。自分にピッタリすぎた。

 

何とか記憶を辿り、次こそ“バグパイプおっちゃんの跡地” に到着(バグパイプおっちゃんが居たらどうしようかと冷や冷やしたw)。

 

 

初、路上演奏。

 

のはずが、昨日とは遥かに人通りが少ない。

というか、いない。

 

今日はいかんなーと思いながらも音を鳴らし始めるとポツポツと人が通り、少しするとツアーの団体が通ったりと、どうやら波が激しい。

 

「今日は初めてだし、ここでいっか」

 

と練習がてら弾いていた自分も「にしても、この人の少なさはないわな」と場所を変える。前に、あと1曲ほど弾こうとしていた時。

 

左から流れて来るのはツアー客。しかも中国人。ツアー中、笑顔はくれてもチップをくれる人はいなかったので、ボランティア感覚でまた音と笑顔をお届けする。すると先頭を切っていた男の人が口を開く。

 

 

男性「じゃぱにーず?」

 

自分「じゃぱに…」

 

 

全て言い切る前に、振りかぶる様にして中国人全員が口を開く。

 

 

「え????日本人??」

 

「え日本人なの???」

 

「に、日本人??えほんとに??」

 

 

(…あ、ツアー中の中国人じゃなかった。) 

 

そっちこそ、中国人じゃないのかよ!!

 

 

「え日本人なの????!!」と負けじと同じセリフで対抗し、さっきまでアコーディオンと多少のドイツ語が響いていた洞窟が、日本語で充満した。(お互い日本人だと思わないのは、海外在住日本人あるあるw)

 

初めてドイツで会う日本人。

 

日本にいる頃から敬語はあまり多様しない自分だが、実際に人と会って日本語で言葉を交わすのは約2ヵ月ぶり。更にこのマイナーな場所での出会い、そして中国人じゃなかった件、脳ミソがスパーク状態で見事なる語彙力の低下。

 

完全にローラになっていた自分。「今ねー財布失くして一銭もないの!(てへっ)」 と特に考えずに言うと、最初に「じゃぱにーず?」と聞いてきたリーダー的なおじさんが「なにそれ罠じゃないの〜?騙されないよー」と言ってきた。

 

 

何のことかサッパリ分からなかった。

 

 

今考えると、チップ下さい!とわざわざ路上で演奏している少女が「財布失くしたの」なんて、「いいから早くお金入れてください」と言っているのと同じだ。とんだイヤらしい少女。

 

意味を理解し、ちがうちがうそういう意味じゃなくて…!と必死で首と手を横に振りまくるも、おじさん達の手にはいつの間にか財布が用意されている。そして更に信じられない光景が目の前に現れる。

 

「おじさん達がそういうのに弱いの知ってるんだろ〜(笑)」

 

と小銭に加え、なんと、水色のお札やオレンジ色のお札を持ったおじさん達の手が、まだ幼いアコーディオンのケースに伸びているのだ。

 

その瞬間、外には流れなかったものの、確実に涙が流れた。

 

 

 リーダー「24、25歳だろー?」

 

 自分「じゅーきゅー」

 

 全員「…じゅーっ…きゅーっっ?!??」

 

 リーダー「こんなとこで何やってんのさぁ、母さん心配するぞー、はやく札幌帰りなさい。」

 

 

そしてそれに付け足す様に「よぅし、なんかあったらここに連絡してこいよ!」とリーダーが自分のポケットをたたき、それを合図に彼等は歩いていった。

 

※勿論、連絡先などもらってない。

 

彼等は会社の出張(という名の旅行)だというが、それ以外は驚くほど情報がない。正直、顔さえハッキリと思い出せないが、優しかった表情だけが明確に目が記憶している。

 

こんなことが起きてしまったのは、このドイツ、しかもニュルンベルク、しかも変な洞窟もどき、の場所でたまたま「“同じ日本人”だった」という、ただそれだけだ。自分の演奏など、誰も覚えていないだろう。

 

最後までユーモア混じりの愛を洞窟いっぱいに注ぎ込んでは、名前も出身も連絡先も残さずさり気なく居なくなるとは、カッコよさにも程がある。ヒロインはいつもそうだ。

 

 

この日の帰り道は、あまり記憶がない。

 

が、もう一度、路上で演奏する前に訪れた教会に行き、もう一度、前から2番目の席でさっきと同じ曲を聴いて泣いたことは覚えている。

 

 

ちなみに、合計で66ユーロ。

日本円にして約8500円。

 

非常にありえない金額だ。

 

 

乾ききった喉に今すぐコーラを流してあげたいが、額縁に入れて飾ってしまいたいくらい愛しいお金をなかなか使えないのと、家に着くまで我慢してからコーラを流し込む“あの爽快感”を味わいたいので、大人しく速やかに帰宅。

 

列車の記憶が恐ろしくない。

 

ただ、この、財布を失くしてから今日までお金のなかった期間(財布を失くす前も)、食べ物や笑いや寝る場所を平気な顔で与えてくれた周りの“アラビッシュ”達に一番に恩返しがしたかった。

 

 

隣に住む売店のおっちゃん。

 

売店のドアを勢いよく開け、コーラ、いや、ファンタオレンジを買った。駅の売店で買うのと、何の変わりもないファンタオレンジ。それでも何としてでも、このおっちゃんから買いたかったのだ。

 

駅の売店のコーラと睨めっこしたものの、何とか勝利して家まで我慢したのにはこの理由が1番だった。

 

売店の前には名前も知らない、“いつものおじさん”が階段に座ってビールを飲んでいる。

 

こう書いていると、おっちゃんに囲まれて生きている自分。全てのおっちゃんに今日の出来事を話すと、全てのおっちゃんが自分の子供の事のように喜んでくれた。

 

家に入ると、「どうだった?!」と同居中のトルコ人と友達が待っている。同じように話し、同じよう喜んでくれ、最高の“ファンタオレンジ”を共にする。

 

 

ファンタオレンジ、こんな美味しかったっけ。 

 

 

日本人で良かった。

 

 

日本人て、いいな。

 

 

アコーディオンで(じゃなくてもいいけど)有名になって、彼等に自分の存在が届く日が今から待てない。そして、ありがとうと言いたい。

 

 

 

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