BOKETTO

ヨーロッパ一人旅の記録とひとりごと。

お金、いらないかも。


久しぶりにアコーディオンを抱えて公園に行き、帰宅。夜の22時。興奮状態のまま、記事に残しておく。

 

今日は人が少なく、練習する場所を割と選べたのでベンチに座って弾くことにした。その選択が後の自分の首を絞めるとは知らずに。

 

練習を開始して一分も満たないうちに、一人のおじさんが話しかけてくる。こいつがもう、記事に書く価値もないくらい酷い酔っ払いで、一瞬にして公園が彼の舞台(ミュージカル風)へと変化する。ただでさえ共通言語がなく訳分からないのに、そこにアルコールが加って正にセカイノオワリ。途中退席も出来なかった。

 

通行人に助けを求めようと、道行く人を観察していると感じの良いお姉さんが現れたので、すぐさま「英語話せる?!何が起こってるかわからん!たすけてや!」とヘルプを求む。自分の直感はやはり鋭い。彼女は英語も喋れる上とても優しく、「私達はここを離れないとダメよ」と手を引いてくれ、見事に彼の舞台をも中断させた。

 

そしていつもの階段で練習しようと少し歩くと、またもやおじさんが話しかけてくる。このおじさんもまたドイツ語のみで、驚くほど何も通じない。驚くほど何も通じない(二回言いたい)。驚くほど通じないのに(三回目)、嫌気がさすほど彼はめげず、大した会話でもないのに随分時間を奪われた。

 

ここまでに、約一時間。

 

「家では思い切り弾けないから」と公園に来たはずなのに、これじゃもうどこへ行っても練習にならない。

 

やっとの思いでいつもの階段で弾き始めると、今度は自転車に乗った青年が階段の下で車輪を止めた。見覚えがある。ついさっき「good」と手でサインをくれた青年だ。わざわざ自分の元へ戻ってきて、「聴かせて!」という青年はとてもピュアだった。青年とは連絡先を交換。“友達”の生まれ方に難しいことは必要ない。

 

そしてまだ終わらない。

 

暗くなるまで時間が少ないので、周りの世界は遮断して音と自分“二人きり”になりたく、川沿いに移動。初めて練習といえる名の練習ができ、暗くなってきたのでそろそろかと思う頃。

 

背後をみると一人の男性(おじさんでも青年でもない)が丸太に座っている。何しているのか聞くと、「演奏を聴いてるんだよ」といい、会話がはじまる。その中で、“財布を失くしてお金がない”話もするのだが、それに対し彼の口はとても優しく開く。

 

「それじゃ、こんなとこで弾いてたらだめだよ。メインの駅に行って弾かないと。50ユーロはもらえるよ。私の友達はそこで楽器を弾いて30ユーロ稼いでた。」

 

「パーシーの演奏はとてもいい。それに、殆どの人がアコーディオンの弾き方を知らない。だからみんな、立ち止まってしまうよ。」

 

光が指した。


が、そんな彼に自分が返した言葉は一言。

 

「お金が無いからそこまでの切符も買えないもーん。」

 

すると彼はポケットから財布を取り出し、小銭を差し出してくるではないか。6ユーロ。ちょっきし、行きと帰りの切符代。なんてクレイジーな。連絡先は交換せず、“またここで会えること”と、“明日メインの駅で弾いてくること”を約束してかたく握手をした。

 

一度公園に来ただけでこんなにも出会いがあるのなら、毎日公園に出向いていれば今頃何人と出会っていたのだろう。どんな人との、どんな出会いを逃してきたのだろう。なんて考えながら耳にはRADWIMPSを流し込み、家に向かう。

 

この時、新たなるミラクルが待っていることは知らなかった。

 


狭い歩道。向こうから来る自転車を避け、アイコンタクトで合図をする。外国にはよくある目で会話をする光景。それにしても、何だろう、何かが、おかしい。「道を譲る」という一瞬だけでヤケにフィーリングが合った。当然、後ろを振り返っても、自転車の彼はもう見当たらない。

 

瞼に彼の残像を残しながら不思議な気持ちで歩いていると、あろう事か、どこからか自転車が現れた。彼が道をUターンして戻ってきたのだ。こんなこと、あんのかよ。

 

とも思わず、それが当たり前であるかの様だった。彼は「ゆーすぴーくじゃーまにー?」「ゆーすぴーくいんぐりっしゅ?」と言い、続けて「あいあむあらびっしゅ」と言うのだが、これには腰が抜けた。今同居しているトルコ人との出会いのシーンと、全くもって同じだったのだ。

 

これにはアドレナリンも黙っちゃいられず、トルコ人との同居で覚えてしまったアラビア単語を次々とこの世に吐き出した。

 

更に気持ち悪いことに、彼とも翻訳機を交えた三人での会話になるのだが「あなたのこと見たことある気がする」と言うと、“みーとぅー”と返ってきた。流石のGoogle翻訳機も腰を抜かした。

 

 

もう、わや。

 


彼とは家の近くの信号まで一緒に歩いたが、6ユーロおじさんの後のこの出会い。気付けば辺りは真っ暗。向こうの道路には同居しているトルコ人がいて、わざわざ迎えに来てくれたみたいだ。

 

信号が青になり三人が合流すると、自分がアラビア語を話したことや、出会いのシーンが全く同じだったことを話して盛り上がる。

 

帰宅すれば、お腹空いた?とご飯が待っており、隣の家のおっちゃんは意味分からないデカさのスイカとスイーツを持ってくる。一銭も払っていないのに、食後のデザートまで付いて宿泊出来てしまうとはどんなイカれたホテルなのだろう。

 

ついさっき会った自転車の彼も、「いくら必要なの?日本からお金届くまで必要でしょ?」と言ってきたり、この間公園で友達になった友達も、トルコ人も、みんな同じセリフを言ってくる。

 


もう、お金、いらないかも。

 

 

「財布失くしてお金がありません助けてちょ」とネットを介さず身近でクラウドファンディングを成り立たせてしまっているようなものだ。

 

クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。 ソーシャルファンディングとも呼ばれる。”

 


ということで、今日は重たい6ユーロと重たいアコーディオンを抱えて、街に繰り出すします。

 

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(練習場所w)

 

 

ミラクルだらけで禿げそうです。