BOKETTO

19歳。高校中退後、「好きなことだけして生きていく」ことを決意。高校時代に経験したサロンモデルをきっかけにカメラに恋をし、その他イラスト、ピアノ、旅、多すぎる趣味と日々恋愛中。現在は片思い中のドイツにあるアコーディオンに会うため、ヨーロッパへ。

バックパック、いらん。

正直、何のためにここ(現在ドイツ)にいるのかわかりません。ネガティブな意味じゃなく、イタリアやトルコはさらっとまわってしばらくここに滞在しようかな。

バックパックひとつでぐるぐるするのも好きだけども、街歩きにはバックパックなんてぶん投げて、たまには少しだけお洒落もしてまわりたい。男だったらおそらく、今頃アマゾン川かどっかの裸族と暮らしてるけど。

「観光」という名であらゆる地に足を運び入れるのはどうも自分の感覚と一致せず、それなのに自ら観光客と名乗っているようなでっかいバックパックは言うまでもなくしっくりこない。なんか、もう、 

タイミングやフィーリングが無駄に良すぎる映画のような出会いが多すぎて、何もしなくても友達は出来るし、ご飯も宿泊もほぼお金かかってないし、困ってもすぐ出会いが訪れて、気が付けば恵まれちゃう。ちゃう。

 

ところで言語は? 

って話だけど共通言語、ナシ(笑)

今周りにいるのはドイツ人、トルコ人。もう舌の使い方からして違って何言うてるか分からない。なのに日本にいるよりむしろストレスフリーで快適に暮らしてる。

感情や思考を伝える手段として多くを占める「言葉」。それが問題なく交わせる日本より、全く通じないこの国の方が生きやすいというのは、どういうことだろう(笑)

きっと、色んな自己表現の手段がある中、自分の「言葉」の優先順位は高くない。というのも感受性が酷く備わって生まれたお陰で、言葉はあまり必要ない。むしろ言葉が多い人は「もうそれ以上しゃべらんで。。わかってるわ」とストレスが生じてしまう。

それが全くない今の生活環境は、自分にとってそれはそれは心地がいい。単純にフィーリングが合うのが何よりの理由だけど。

じゃあ、
言葉なしに何で自分を表現するの?

といえば、写真、イラスト、音楽。

こんなにも迷惑なくらいに好きなことが芸術面に偏っている理由は、そういうことだと思う。

言葉は、あくまでも感情や感覚に一番似合った言葉を着せているようなモノで、だからたまに「ありがとうとごめんが合わさった言葉があればいい」というのはその微妙な感覚に合わさった言葉(洋服)が見当たらない、ということだと思う。

自分にはその感覚に着させるものは言葉ではなく、写真やイラスト、音楽の方がよりピッタリとハマる。

それは贅沢なことで、言葉を発せる口も、誰かを抱きしめられる腕も、一瞬で感情を表せる顔(表情)も、必要以上に沢山持っているのに、それではしっくりこず、さらに物を使う。

もし、自分がおしゃべり好きな一般的な女性で感情や思考に言葉を着させるのが得意なら、カメラや絵や音楽は別にやらなくたっていい。

でもたまたまこう生まれてきてしまったのだから、わざわざ「上手く喋れるようになろう」とか無駄な努力は良して、芸術面を極めていこうと思う。

に加えてたまたま五体満足で口や目も耳も備わって生まれてきたのでその子達も存分に使ってみようと思う。

段々、カメラ、イラスト、音楽、それぞれでどんな感情や考えを伝えたいのかがハッキリしてきた。

 

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